連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

戦争とひょうご記事一覧

  • 印刷

 70回目の終戦の日となる15日に東京・日本武道館で開かれる政府主催の全国戦没者追悼式に、松本アサヱさん(94)=加古川市=が孫、ひ孫とともに参列する。兵庫県から参列する遺族代表103人の中で最高齢。2年にも満たない結婚生活を経て、乳飲み子を残して南方の戦線で命を落とした夫に「苦労した時期もあったけれど、今は幸せに暮らしていますよ」と報告するという。

 松本さんと夫敏行さん(享年33)はともに長崎県南島原市出身。陸軍軍属の船乗りだった敏行さんが立ち寄る各地の港に松本さんが呼ばれる新婚生活だった。結婚翌年の1944(昭和19)年1月には長男敏雄さん(71)が生まれた。

 同年8月30日に福岡・門司港で、敏雄さんを抱いて離さない敏行さんが「今度は帰ってこられるか分からない」と淡々と告げた。松本さんは「そんな話はやめて」と返したが、それが最後の会話となった。10月18日、マレーシア・ボルネオ島方面での戦死を告げる公報が届いた。乗っていた船が敵艦の攻撃を受け、沈没したという。

 当時、松本さんは24歳。悲しむ余裕もなく子育てに明け暮れた。実家の農業を手伝いながら針仕事をし、飲食店も営んだ。「息子が高校を卒業するとき、義務は果たしたと思って涙がこぼれた」。50歳を前に敏雄さんから同居を誘われ、加古川市に移った。

 追悼式には20年ほど前、同市内の遺族会メンバーと一緒に足を運んだ。「今は当時の仲間のほとんどが亡くなってしまった。今年は70年の節目。最後だと思って、今回だけは出たい」。敏雄さんの体調がすぐれない中、孫の和也さん(39)、ひ孫の琉美華(るみか)さん(7)との参列を決めた。

 ひ孫には戦争当時の話をほとんどしたことがないという。ただ、ランドセルなどをプレゼントした際には「(遺族年金で)ひいおじいちゃんが贈ってくれたお金。仏壇にありがとうと言っておいで」と声を掛けている。

 松本さんは敏行さんが亡くなる前、一緒に金刀比羅宮(ことひらぐう)(香川県)へ参った。「げたの鼻緒が切れて、嫌な予感がした。一緒にいる写真を撮ってもらいたかったけど、言いだせなくて」。今も悔いが残るが、「主人が守ってくれているから、大きな病気をしたことがない。孫やひ孫、みんながいる。幸せです」と静かにほほ笑んだ。(小林隆宏)

2015/8/14

天気(8月8日)

  • 33℃
  • 27℃
  • 20%

  • 33℃
  • 25℃
  • 30%

  • 35℃
  • 27℃
  • 20%

  • 35℃
  • 26℃
  • 20%

お知らせ