戦争とひょうご記事一覧
周囲の反対を押し切り、原爆遺児となったいとこの英治さんを引き取った萬(よろず)みち子さん(92)。原爆が結び付けた23歳と2歳だった「母子」は、焼け跡からの復興の途にあった神戸で戦後を歩み始めた。母子の絆は半世紀後、大震災に引き裂かれることになる。
みち子さんは英治さんを連れて母と共に神戸に戻り、刺しゅうの小物を売って生計を立てた。原爆遺児を育てる若い母親を助けたかったのか、進駐軍高官の紹介で、商社を通じてハンドバッグを輸出するようになった。女性工員を雇い、市内に作業場付きのマンションを建てた。
一人親の子どもの就職差別が根強い時代に、みち子さんは英治さんに大学進学を勧めたが、興味がないようだった。英治さんは陸上自衛隊を経て、神戸の運送会社に勤めた。つらい仕事も進んでこなし、職場の信頼は厚かった。
だが、この間、糖尿病を患った母の医療費など出費がかさみ、みち子さんはマンションを手放した。母の死後、西宮市に移った。英治さんも、みち子さんに付き添った。
1995年1月17日。英治さんは午前3時半に起きて、自宅を出た。英治さんが運転していたマイクロバスは、阪神・淡路大震災による阪神高速神戸線の倒壊に巻き込まれ、大破した。警察署の地下室で対面した英治さんの顔は、血でまっ赤に染まっていた。51歳だった。
みち子さんは人前で涙を見せなかった。だが、たまらなくなると、英治さんが落命した現場の橋脚の前に缶ビールとたばこを置き、人知れず泣いた。97年1月、阪神高速道路公団(当時)を相手に国家賠償訴訟を起こす。
2003年1月、神戸地裁尼崎支部は請求を棄却。控訴したが、04年3月、高齢などを理由に和解した。つえをつきながら、傍聴を重ねて7年が過ぎ、80歳になっていた。
英治さんは独身を通した。後で、みち子さんの世話ができることを結婚の条件にしていたと聞いた。英治さんの死は労災が認定された。その年金に老後を支えられる因果を切なく思う。
13年、体調を崩して大阪の有料老人ホームに移った。その際、手違いがあり英治さんの位牌(いはい)も遺影も失った。個室に寝起きし、新聞や雑誌を読み、テレビを見ていると、日が暮れる。
孤独に耐えきれない瞬間、高等女学校の卒業アルバムに手を伸ばす。唯一、手元に残る人生の思い出だ。女学生時代の勝ち気な面影。あの子を引き取らなければ別の人生があっただろうか、とも思う。
だが、思い直す。
「好きに生きた人生だから悔いはない。たぶん、英治も。そう思っている」
(森本尚樹)
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