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戦争とひょうご記事一覧

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列車が機銃掃射を受けた現場付近
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列車が機銃掃射を受けた現場付近

 あの戦争で何が起き、戦後70年の今をどう思うのか。兵庫県内の体験者の言葉に耳を傾けた。きょう70回目の「終戦の日」を迎える。

【播但線に機銃掃射 車内は血の海】

 米軍の機銃掃射の跡が、姫路市香寺町犬飼の民家のれんが壁に今も残る。直径5センチほどのくぼみを指さし、近くに住む金沢忠義さん(82)が70年前の悲劇を振り返った。

 陸軍第10師団があり、軍需工場が稼働した軍都・姫路。1945年6、7月の2度の空襲で市民514人が死亡したが、同じ年の3月、もう一つの空襲はあまり知られていない。

 同月19日午後1時すぎ。当時12歳だった金沢さんは空襲警報と、直後に耳をつんざいた「バリバリバリ…」という銃撃音を覚えている。

 東の空から米軍グラマン戦闘機の編隊が現れ、数機が急降下。播但線仁豊野(にぶの)-香呂(こうろ)間を走る6両編成列車に機銃掃射を浴びせた。

 「逃げ込んだ納屋の中で、恐怖で震え上がった」と金沢さん。

 車内は血の海となり、乗客や線路近くの住民約20人が死亡、約50人が負傷した。機銃掃射による空襲では、兵庫県内最悪の被害とされる。

 10歳だった金井正彦さん(80)は母親と家に逃げ込んだが、母親の腰の辺りを1発の流れ弾が貫通した。「お母ちゃん、お母ちゃん」。担架で運ばれる母を、泣き叫びながら見送った幼き日の自分を今も思い出す。

 母は気丈に振る舞っていたが、まともな治療を受けられず、翌日の夕方に亡くなったと聞かされた。「かわいそうなもんや」と声を落とす。

 2人は「平和な時代になり、本当に幸せ。列車が襲撃された当時を知る人は年々、周りからいなくなっている。二度と繰り返さないためにも悲惨な歴史を後世に残したい」と願う。(宮崎真彦)

2015/8/15

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