戦争とひょうご記事一覧
1945年8月下旬、長崎から神戸へ原爆の惨状を伝える1通の手紙が届いた。投函(とうかん)したのは、神戸市兵庫区の元銀行員、松井清さん(85)。原爆で9人家族のうち、両親やきょうだい計7人を亡くした。父が書いた手紙は阪神・淡路大震災を機に清さんの手元に戻り、長崎原爆資料館で展示された。あの日から70年。手紙を見るたび、清さんは思う。「戦争はかけがえのない命を奪う。どんな理由であれ、絶対に駄目だ」
手紙は45年8月20日、父照之助さん=当時(43)=が、神戸の弟に家族の罹災(りさい)状況を知らせるために書いた。「残念無念言葉なし。当方九日午前十一時頃新型爆弾ノ攻撃をうけたり」。そう始まる手紙は、清さんの妹の遺品であるノートにつづられた。
清さんの自宅は爆心地から約900メートル。庭で遊んでいた妹4人は全身にやけどを負い、9日中に死亡。弟健次郎さん=同(13)=も全身にガラス片を浴びた。「照子、節子、正子、邦子火傷死。照之助、ハルノ(清さんの母)、健次郎重傷〈中略〉この間、無条件降伏を知る。嗚呼」
清さんは学徒動員先に居たが、自宅に戻り妹たちの死を知る。小さな体は全身が焼けただれていた。即死の2人を父と荼毘(だび)に付したが、父は「かわいそうだから見てやるな」とつぶやいた。清さんは「幼子を先に、しかも残酷な死に方で亡くした両親はどんなにつらかったか」と涙する。
投函後の25日に弟と母が息絶え、父も27日に後を追った。妹らの遺骨を入れた小さな花瓶に父母らの遺骨を足した。「親が幼子を焼き、私が親を焼く。そんなむごいことをせなあかんのが戦争や」。生き残ったのは清さんと姉だけだった。
手紙は、阪神・淡路大震災で神戸市長田区の親戚の家が全壊し、片付けている最中に見つかった。2012年、大切に保管してきた罹災証明書や通知票など10点を同資料館に寄贈したが、手紙は複写を取ってもらい、手元に残したという。13年には、同館の収蔵展で一般に公開された。
人望の厚い父、成績抜群の弟や妹たち。「人生の一番大切な時期を生きていた。どんな思いで死んでいったのか」
14年、甲状腺を手術し、初めて原爆症に認定された。薬は欠かせないが、生きていられるのは死の間際まで父母が無事を祈ってくれたおかげだと思う。
「なぜあんな戦争をしたのか、答えは出ない。でも、今の日本人は戦争をしないと信じたい。悲しみや反戦の思いは、そう簡単には消えないはずだから」(阿部江利)
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