戦争とひょうご記事一覧
終戦から70年となった15日、列島は鎮魂の祈りに包まれた。東京の日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式が営まれ、約5千人の遺族が参列、兵庫県からは102人が出席した。高齢化が進む戦争体験者、思いを引き継ごうとする若い世代。「多くの犠牲の上に今がある」「もう二度と戦争はしない」-。人々はそれぞれに戦没者を悼み、平和への誓いを新たにした。
【「自由と平和の大切さ考えな」兄犠牲、神戸の女性】
一枚の「赤紙」で戦地に赴いた兄の形見は、レンズのない曲がった丸めがねと、ケース入りの印鑑だけだった。
「今年も会いに来ましたよ」。辰己喜代子さん(87)=神戸市中央区中山手通2=は、戦没者追悼式の会場で亡き兄の敬三さん(享年24)に語り掛けた。
「遺骨もありません。めがねも兄ちゃんの物か分かりません。薄っぺらいもんです」。喜代子さんはもう70年も前になる兄の死を静かに振り返った。
7歳上の敬三さんは「県商」(現県立神戸商業高校)を卒業後、陸軍に入り、姫路市の施設で歩兵として訓練を積んだ。1945年6月12日、戦地に向かう船上、フィリピン沖で敵機の銃撃を受け、戦死した。
うどん店を営む両親と、敬三さん、喜代子さんの4人家族。よく勉強を教えてくれる優しい兄だった。
一家の平穏な暮らしが暗転した日を忘れない。「おめでとうございます!」。役場の人が封書を持って自宅にやって来た。敬三さんへの召集令状だった。「戦争に行けない人の方がかわいそう、肩身が狭い、そんな時代でした」
神戸の自宅の庭に防空壕(ごう)を掘り、両親の出身地の赤穂市に時々疎開しながら、戦中をすごした。神戸空襲も体験した。ただ無我夢中で山手に走ったことしか記憶にない。「田舎は大丈夫」と聞いていた赤穂でも、機銃掃射の中を逃げた。
8月15日は赤穂にいた。みんな外に出て、郵便局のラジオから流れる玉音放送を頭を下げて聞いていた。何を伝えているのか分からず、終戦を知ったのはしばらく後だった。
戦後、結婚し、子ども4人を育てた。若くして逝った兄の無念を思い毎年、東京での追悼式に出席してきた。
兄たちの犠牲の上に立ち、70年間守られてきた非戦の誓い。式の会場近くでは、平和や戦争反対を叫ぶ人々の姿もあった。
「絶対に戦争はだめだ」。喜代子さんはあらためて思い、心の中で兄に問い掛けた。
「自由や平和がどんなに大切か、もっと考えて生きていかなあかん。なあ、兄ちゃん」
◇ ◇
【「じいちゃんのこと知りたい」祖父が戦死、足跡調べる 尼崎の女性】
「じいちゃんの分もしっかり生きていくよ」
会社員納村(のうむら)綾乃さん(45)=尼崎市大島1=は今年初めて全国戦没者追悼式に参列し、32歳で戦死した祖父神川経吉(かみかわつねよし)さんに誓った。
納村さんは鹿児島県・沖永良部島出身。生まれた時、既に祖母は他界しており、経吉さんのことは長女に当たる母千鶴子さん(74)から「海軍に入り、船に乗っていて戦死した。下士官だったらしい」としか聞いたことがなかった。
2年前、たまたまテレビで見た映画に心を揺さぶられる。主人公は海軍の下士官。経吉さんの存在がふと浮かんだ。「じいちゃんもこんな軍服を着てたのかな」「どんな人だったのかな」-。
祖父の足跡をたどる旅が始まった。
沖永良部島の実家には、経吉さんが妻らに宛てた5通の手紙が残っていた。「いざたらば決して生きては帰らぬぞ」「体を丈夫に 千鶴子と(次女の)好子を、躾(しつけ)を第一に」。文面に覚悟と家族への思いがにじんでいた。
厚生労働省から「軍歴」の写しも取り寄せた。18歳の時、志願兵として「佐世保海兵団」に入ったこと。「嵯峨」や「夕張」という軍艦に乗っていたこと。燃料の節約が上手で表彰されたこと-。
戦没状況はこう記されていた。「昭和19年9月25日午前8時5分香港島付近海面において敵機雷に触雷し、頭部打撲傷頭蓋骨粉砕骨折脳損傷により戦死」
長崎県佐世保市の海軍施設があった場所にも足を運んだ。案内の人から「この道は明治時代からあってね」と聞くと、「じいちゃんと同じ景色を見ているのかな」と温かい気持ちになった。過去を知るにつれ、祖父を身近に感じ「戦争は残酷だ」と悔しさが募った。
海軍OB会などで手掛かりを探したが、祖父を直接知る人にはまだ会えていない。だから、経吉さんの関連資料を収めたノートを携え、上京した。
「多くの出征者や遺族の方が来られる場。じいちゃんにつながる人がいるかも」
戦後70年。あの戦争を学ぶ旅は続く。(宮本万里子、段 貴則)
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