戦争とひょうご記事一覧
74年前の12月8日に始まった太平洋戦争。「赤紙」は女性たちにも届いた。神戸市垂水区神陵台9の近藤文子(ふみこ)さん(90)は従軍看護婦として召集され、中国東北部の陸軍病院に赴く。現地では、多くの兵士が病気のために命を落としていた。そこはもう一つの“戦場”だった。(藤村有希子)
近藤さんは1925(大正14)年、徳島市に生まれ、6人きょうだいの5番目。長兄は日中戦争に出征し、赤痢の感染で死亡した。
太平洋戦争下、高等女学校を経て、42年、現在の高松赤十字病院の甲種救護看護婦養成所に進学した。1年繰り上げで、44年に卒業した。
同年4月、召集令状を受ける。18歳。「お国のために働ける」。喜び勇み、翌月、中国へ渡った。派遣されたのは現河北省・北戴河の陸軍病院。「北支派遣甲第一八三〇部隊」の看板がかかり、白壁の感染症病棟が並んでいた。北戴河は海と丘に挟まれた避暑地で、周囲には花が咲き乱れていた。
だが、看護は過酷を極めた。2日に1度の当直。患者の吐く血を予防衣に浴びながら看病することもあった。冬は氷点下30~40度に耐えた。
忘れられない場面がある。「お母さん、お母さん」。病の床にいた20歳前後の兵士がしきりに叫んでいた。呼吸は荒く、表情がゆがむ。近藤さんは自分と同世代の彼の手を握り「お母さん、ここにいるよ、大丈夫よ、元気出せ」と声を掛け続けた。兵士は間もなく息を引き取った。
「最期をみとるのが一番つらかった」と近藤さん。「疲労と栄養失調で病気になる兵士が多かった。日本の未熟な戦い。こんなことでいいのか、と徐々に思い始めた」
日中戦争から終戦までに亡くなった軍人・軍属は約230万人。「飢死(うえじに)した英霊たち」などの著書がある歴史学者の藤原彰氏(故人)は、うち6割の約140万人が戦闘ではなく、病気による「戦病死」だったと推計している。そして、そのほとんどが栄養失調による感染症罹患(りかん)も含めた「餓死」だったともいわれる。
敗戦後、帰国した近藤さんは結婚し、夫の勤務の関係で神戸に転居した。戦時中の体験から「若者を健やかに育てたい」と市立小中学校の養護教諭としての道を歩んだ。
戦後70年。近藤さんは言う。
「病院で毎日泣きながら遺体を運んだ。今を生きる人たちにも、あの時代に思いをはせてほしい。もう二度と戦争のないように」
【従軍看護婦】
旧日本軍の指揮の下、戦地などで傷病兵を手当てする看護婦。日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本赤十字社から3万1450人が従軍し、1120人が殉職した。うち同社兵庫支部からは812人が赴き、28人が亡くなった。徳島支部からは468人が派遣され、14人が死亡した。
【体験を自費出版】
近藤さんは、当時の体験を冊子「文ちゃん生きて帰ってきてね」にまとめ、このほど自費出版した。A5判、112ページ。千円。近藤さんTEL080・7005・4374
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