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戦争とひょうご記事一覧

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当時の写真や資料を手に、学童疎開の思い出を語る北山秀俊さん(左)と今野光雄さん=神戸新聞社
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当時の写真や資料を手に、学童疎開の思い出を語る北山秀俊さん(左)と今野光雄さん=神戸新聞社

 太平洋戦争時、神戸市長田区の御蔵小学校から、豊岡市へ疎開した北山秀俊さん(81)=神戸市須磨区=と、今野光雄さん(80)=同市北区=が11日、疎開先だった五荘小学校(豊岡市中陰)で当時の思い出を語る。戦後70年、2人は「戦争がいかにひもじく、わびしいか。少しでも肌で感じてもらえれば」とする。(長嶺麻子)

 1944(昭和19)年7月、戦況の悪化に伴い、神戸市は学童疎開都市に指定され、播州や但馬方面への集団学童疎開が始まった。当時5年生だった北山さんと4年生の今野さんは8月26日、兵庫駅から豊岡駅へ。五荘小学校近くの寺に寝泊まりし、通学した。

 戦後、空襲で家族や家を失った人は多く、学童たちはバラバラに。生活のために働くのに必死で、当時を振り返る機会は訪れなかった。2人は、同じ神戸市職員になってから同窓だったことを知った。戦後70年を機に今年4月、15年ぶりに連絡を取り、6月には一緒に豊岡を訪問。当時の記憶が鮮明によみがえった。

 親元を離れ、いつもおなかをすかせていた。授業もモールス信号や隊列訓練といった軍事技術ばかりで、間違えれば、引率の男性教諭から力任せのビンタが飛んできた。北山さんは「面会に来てくれた父が、どこで工面したか牛肉のつくだ煮を弁当箱に詰めて持ってきてくれたけど、あれは先生にとられたな。今思えば理不尽なことだらけ」と振り返る。

 「楽しみといえば、近くの民家へのもらい風呂。寺や学校では教えてもらえない話が聞けたり、内緒でおやつがもらえたり。そういえばイナゴやタニシで空腹をしのいだな」と今野さん。苦しい記憶と合わせ、コウノトリや真っ白な雪化粧の風景も覚えている。

 講演会は、6月、豊岡を訪問した2人が、偶然に出会った地域住民の仲介で実現することになった。2人は「気付けば、早く記憶を継承しないといけない年になった。戦争を繰り返さないためにも、銃後の現実を少しでも感じ取ってもらいたい」と話している。

 五荘小学校の講演会は午前10時40分ごろから、同校体育館で。一般の聴講もできる。

2015/9/10

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