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戦争とひょうご記事一覧

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進駐軍の地図・舞子周辺
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進駐軍の地図・舞子周辺
進駐軍の地図・西宮市山手周辺
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進駐軍の地図・西宮市山手周辺
神戸港や新開地の接収状況=神戸市中央区熊内町1、市文書館
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神戸港や新開地の接収状況=神戸市中央区熊内町1、市文書館
西宮市から神戸市垂水区まで、1949年当時の進駐軍の接収状況が分かる地図
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西宮市から神戸市垂水区まで、1949年当時の進駐軍の接収状況が分かる地図
進駐軍の地図・神戸港周辺
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進駐軍の地図・神戸港周辺

 第2次世界大戦後、進駐軍による神戸市と周辺の接収状況の全体像が分かる地図が、同市内の倉庫から見つかった。接収は公共、民間を問わず土地、建物が対象とされ、司令部や宿舎などとして利用された。西宮市から神戸市垂水区までの広範囲で描かれており、都市部だけでなく、山手の住宅など、広範囲で占領下にあった事実が一目瞭然の貴重な史料だ。

(長嶺麻子)

 進駐軍の神戸基地軍司令部が1949(昭和24)年に作成した地図「KOBE BASE AREA」(縦約70センチ、横約2・8メートル)。戦後70年を機に、関連史料を探していた神戸市文書館(中央区熊内町1)が、書庫の中に一部を複写した地図を見つけた。さらに、別の倉庫で探していたところ、完全版が見つかった。

 地図の用途は分かっていないが、鉄道や主要道路、港湾施設、飛行場など軍にとっての動線機能が記載されている。国道2号と思われる道路には「テキサスアベニュー」など独自の命名もある。甲子園球場(西宮市)やホテル、ビルなど、接収対象となった象徴的な建物にも識別番号が振られている。

 神戸市史によると、兵庫県の建物の接収数は東京都に次いで多い467件。地図上では焦土と化した神戸・三宮の約31万5千平方メートルに及ぶイーストキャンプ、新開地の聚楽館(しゅうらくかん)など都市部の主要部や施設だけでなく、外国人の大邸宅など山手のエリアの接収も目立つ。

 進駐軍の史料に詳しい神戸大学の学術研究員佐々木和子さん(63)は「神戸の接収状況の全体像が分かる貴重な史料だ。実質、強制だった接収の対象の多さや範囲の広さから、まさに敗戦国だったことが伝わってくる」と話す。

 52年の講和条約発効後、58年の六甲ハイツ(現・神戸大学)の返還まで、本格的に接収解除が進んだ。今では市内に占領下の面影はほぼ残っていない。

 近現代史が専門の神戸大学大学院の長志珠絵(おさしずえ)教授(52)は「神戸など地方の占領下の様子はあまり研究が進んでいない。当時を知る人たちがこの地図を見れば、新たな事実も出てくるのではないか」と期待を寄せる。

 神戸市文書館は発見した接収地図を、戦後の神戸のカラー映像などと共に、11月8日から同館で公開する。市民らからの情報提供も募っている。同市文書館TEL078・232・3437

2015/10/28
 

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