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写真展の会場で、来場者と語る阿部さん=西宮市甲子園口1(撮影・笠原次郎)
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写真展の会場で、来場者と語る阿部さん=西宮市甲子園口1(撮影・笠原次郎)

写真展の会場で、来場者と語る阿部さん=西宮市甲子園口1(撮影・笠原次郎)

写真展の会場で、来場者と語る阿部さん=西宮市甲子園口1(撮影・笠原次郎)

 東日本大震災で津波に襲われ、3千人以上が犠牲となった宮城県石巻市。家族3人を亡くし仮設住宅で暮らす阿部美津夫さん(62)は、この地で写真を撮り続ける。「何が起きたのかを忘れてほしくないし、元気になっていく町を見てほしい」。阿部さんは写真と言葉で震災を伝えようと、各地を回る。阪神・淡路大震災から丸18年となる17日は、西宮市立平木中学校で命の尊さを語る。(田中真治)

 建設業を営んでいた阿部さんは約20年前から、生まれ育った石巻の風景を撮影するようになった。2年前の3月11日、激しい揺れに襲われたときも、反射的に3台の愛機をつかみ高台へ走った。

 海岸から数百メートルの自宅。家は基礎しか残らなかった。近くで暮らしていた長女と小学生の2人の孫を探し、がれきの中を歩いた。3日後、3人は遺体で見つかった。

 悲しみと苦しみの中でも、カメラは手放せなかった。流れ着いた子ども用の自転車に乗り、何もかも失われた町にレンズを向けた。「娘亡くして、新聞記者でもないのに何やってんだと言われたよ。でもね、亡くなった人のためにも、石巻をきれいに撮ることがテーマになった」

 写真からがれきの色が薄まるころ、明るい笑顔の人を撮れるようになった。季節を告げる草花にも目が留まるようになった。「今がようやく第2ステップ」と阿部さん。気掛かりなのは、復興に従い、震災の記憶が風化していくことだという。

 「いつ、何人が亡くなったという、歴史の1行にはしたくないんだ」。石巻にボランティアで訪れた若者に、進んで体験を語ってきた。そうして知り合った学生を通じ、西宮でも写真展と講演をする機会ができた。

 「大災害は、いつまた起きるかもしれない。震災を語り継ぐことで、命を守ることができれば」。阪神・淡路を知らない子どもたちの心に届くことを願い、壇上に立つ。

 写真展は17日まで(午後1~5時)、西宮市甲子園口1のギャラリーわびすけ(TEL0798・63・6646)で。

2013/1/17

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