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百合さんのお絵かきや日記を前に、娘への思いを語る中北富代さん=西宮市大井手町(撮影・笠原次郎)
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百合さんのお絵かきや日記を前に、娘への思いを語る中北富代さん=西宮市大井手町(撮影・笠原次郎)

百合さんのお絵かきや日記を前に、娘への思いを語る中北富代さん=西宮市大井手町(撮影・笠原次郎)

百合さんのお絵かきや日記を前に、娘への思いを語る中北富代さん=西宮市大井手町(撮影・笠原次郎)

 目を背けてきた娘の遺品に、18年たってようやく向き合えた。阪神・淡路大震災で長女百合(ゆり)さん=当時(14)=を失った兵庫県西宮市大井手町の中北富代さん(60)は昨年末、娘の日記や家族の連絡帳を震災後初めて開いた。春から通い始めた大学院の課題に役立てるためだ。ページをめくると求めていた内容が、思い出とともに現れた。「今でも百合がヒントをくれる」。中北さんは涙を拭い、ほほ笑んだ。(斉藤絵美)

 「黒ふねという名前のゆうらんせんでまわりました」

 百合さんが小学2年の夏休みに書いた日記。あどけない字が並ぶ。がれきの中から取り出したためか、砂っぽさが残る。中北さんはこのページに付箋を貼った。百合さんが生きた年と同じ14年が震災から過ぎた2009年、中北さんは神戸市外国語大(神戸市西区)に編入。昨年4月に進学した大学院では日本語を専攻している。

 日記には百合さんの姿が生き生きと描かれていた。家族で海に行ったこと、伊豆へ旅行したこと。「こんなこともあったな、って。鮮明によみがえってきますね」。中北さんの頬を静かに涙が流れた。

 あの日。夫婦と百合さん、息子2人の家族5人が2階で寝ていたが、百合さんだけが亡くなった。その後、「心臓を絞られるような時間」もあった。買い物を楽しむ母娘の姿には、「自分には二度と来ない現実。絶望感にさいなまれた」。

 自宅から取り出した百合さんのお絵かきやノート、教科書などは、親類や知人宅を転々としながらも大切に保管してきた。しかし、再建した家では、百合さんの頭文字「Y」と書いた段ボール2箱にしまったまま、開けられなかった。「怖くてね。いつ、どんな感情がよみがえるか分からない中で生きてきたから」と振り返る。

 封印を解くきっかけは大学院の課題だった。「~という」と表現する言葉遣い。何歳ぐらいから使うようになるのか、と疑問を抱き、「手がかりがあるかも」と思いついたのが「Y」の箱。なぜかちゅうちょなく開けることができた。たくさんの日記やノートから、研究に見合った言葉を見つけた。百合さんが差し出してくれたようだった。

 一昨年には日本語教師の資格を取得。これからも母国語を研究していくつもりだ。「もし娘に会えることがあったら、『母さんの娘に生まれて良かった』と言ってもらえるように生きたい。それが最大の評価だから」。宝物を見る中北さんの表情が緩んだ。

2013/1/15

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