阪神・淡路大震災から19年目の被災地に終日、ろうそくの灯がともる。歳月がたっても変わらない後悔がある、涙がある。もうすぐ発生から2年を迎える東日本大震災の被災地も、思いは同じだ。亡き人の心を抱きながら、きょうをあしたを、踏みしめるように生きる。また一歩、ともに踏み出していこうと思う。
淡路市富島の裏井洋平さん(30)は、震災で亡くなった祖父の裏井美昭(よしあき)さん=当時(66)=が守ってきた衣料品店を両親とともに切り盛りする。5年前、故郷に戻って商売を手伝うようになり、それまで知らなかった祖父の姿を知った。17日夕、祖母とみ子さん(81)と一緒に近くの寺で営まれた法要に出席。「もっと話したかった」「仕事を教わりたかった」-。18年たって思いは募る。
美昭さんは全壊した木造3階建ての店舗兼自宅の2階で、はりの下敷きになった。「痛いよ」と言う声を横で寝ていたとみ子さんが聞いたが、家から出された時には亡くなっていた。
店は洋平さんの曽祖父が行商から始めた。美昭さんの代に服や化粧品などを扱う店として規模を拡大、従業員を4~5人雇った。
震災後、店が全壊したにもかかわらず、ほかの店では使えない商品券が売れた。地元の人が「裏井さんの店はすぐに開店するやろ」と買ってくれた。
半年後、約1キロ離れた場所に約280平方メートルの店を再建した。「見やすいように値札は必ず前を向ける」「全ての人と平等に接するため、値引きはしない」。祖父の経営方針を守り続ける。
富島のまちは、震災で家屋の約8割が全半壊し、26人が亡くなった。火が消えたように友だちや近所の人がいなくなり、洋平さんは「人と会う時間を大切にしよう。次はないかもしれない」と思うようになった。
そして「あの人がおるから、店に行こう」と言われたい。祖父が築いた信頼をもっと大きくしたいと思う。
(敏蔭潤子)