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両親の位牌を手に訪れた幸田雅子さん(右)。孫の拓哉さん(左)らが銘板を取り付けた=15日午後、神戸市中央区加納町6(撮影・斎藤雅志)
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両親の位牌を手に訪れた幸田雅子さん(右)。孫の拓哉さん(左)らが銘板を取り付けた=15日午後、神戸市中央区加納町6(撮影・斎藤雅志)

 神戸市中央区の東遊園地にある「慰霊と復興のモニュメント」に15日、阪神・淡路大震災の犠牲者ら7人の銘板が加わった。同市長田区の幸田雅子さん(78)は、父親の直治さん=享年(87)=と母親の好子さん=同(89)=の名前が記された銘板を2人の孫が取り付ける様子を見守った。「平成が終わるまでに加えてあげられた」。両親の位牌(いはい)を抱え、そっと手を合わせた。

 直治さんと好子さんは震災当時、同市垂水区の幸田さんの兄宅に同居。改築直後で家は無事だったが、2人は倒れたたんすの下敷きになり、直治さんは好子さんに覆いかぶさるように倒れていた。話し掛けても抱きしめても直治さんに反応はなく、4日後、静かに息を引き取った。

 「震災後、母は人が変わってしまった」。おとなしく上品な人だったという好子さんは急速に認知症の症状が悪化。震災2年後の1月22日、直治さんの三回忌に合わせたかのように亡くなった。

 幸田さん自身も同市長田区水笠通4に構えていた店舗兼自宅が震災で半壊。半年後に再建した店は、直後に区画整理事業で立ち退きを迫られた。二重に借金を抱えることになり、その返済は今も続いている。

 モニュメントに両親の名前がないことはずっと気掛かりだった。年齢を重ねる中、今年2月に墓の管理などを兄から任されたことをきっかけに、銘板の追加を決めた。震災後に生まれた孫たちに「苦しかったことも含めて、震災の経験をちゃんと伝えたい」とも思うようになったという。

 この日は長男の裕充(ひろみつ)さん(54)家族とともに訪れ、孫の拓哉さん(19)と郁哉さん(17)が銘板を取り付けると、心の中で「この子らが会いに来てくれるから安心してね」と両親に語り掛けた。拓哉さんは「次の世代に思いを伝えたくて、祖母は銘板を付ける役割を託してくれたのだろう。来年1月17日の朝はここに来ようと思います」と話した。

 間もなく震災から24年が過ぎる。記憶の風化はいや応なく進むが、幸田さんは「デートの時でもいい。近くに足を運んだときに銘板に触れ、私の両親をしのんでくれれば、それだけでも震災の記憶はつないでいけるはずだから」と孫たちを笑顔で見やった。(篠原拓真)

2018/12/16

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