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神戸大学の慰霊献花式で長男竜一さんの名前が刻まれた慰霊碑に手を合わせる坂本秀夫さん=17日午後、神戸市灘区六甲台町1(撮影・斎藤雅志)
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神戸大学の慰霊献花式で長男竜一さんの名前が刻まれた慰霊碑に手を合わせる坂本秀夫さん=17日午後、神戸市灘区六甲台町1(撮影・斎藤雅志)

 元気でいる間はここに来るのが自分の務め-。阪神・淡路大震災から24年を迎えた17日、兵庫県養父市の坂本秀夫さん(73)は神戸大六甲台キャンパス(神戸市灘区)で、息子の名が刻まれた銘板を優しくなでた。工学部3年生だった長男の竜一さん=当時(22)=は同区の下宿先で倒壊した建物に挟まれ、身動きできぬまま炎に包まれた。果てしない悔しさ、そして喪失感。だが、それらを和らげてくれたのもまた、父子を結ぶ思い出だった。

 竜一さんは同大学の学生が下宿する木造アパートの1階で、倒壊した2階との間に挟まれた。明石市に住んでいた秀夫さんは無事だったが、竜一さんと連絡が取れず、神戸を目指した。渋滞にはまったものの、17日夜に下宿先へ到着。逃げてくれていると信じ、周辺の病院を探し回ったが、会えなかった。

 焼け野原となった竜一さんの部屋付近を掘ると、骨が見つかった。「2日たったのにまだ熱くて。火も消してやれなかった」。消防に消火を懇願したが、100や200で済まない順番待ちの番号を伝えられた。

 後日知らされた竜一さんの最期は「知らない方がよかった」。火はアパート東側にある別の建物から燃え移った。炎が迫り来る中、挟まれたままの竜一さんは、助けに来た友人に「自分はいいから逃げてくれ」と伝え、命を落とした。

 その前夜、2人はお気に入りの明石市内の焼き肉店で食事をした。父子家庭で出張続きだった秀夫さんにとって、父子水入らずの貴重な時間。お酒も入り、会話も弾んだ。あのまま家に泊めていたら。あの揺れが昼間だったら。頭の中で違う未来を想像し、悔しさをかみしめる。

 竜一さんの持ち物は全て灰になっていた。その中から、秀夫さんは燃えずに残った1枚のコインを見つける。「金に困ったら、これ使えよ」。第1志望の大学に進学が決まった際、秀夫さんがプレゼントした1万円の記念銀貨だった。

 ほかにも心が和らぐ出来事があった。2000年に開かれた同大学の慰霊献花式で、慰霊碑の玉砂利の隙間に見つけたクスノキの芽を、竜一さんが眠る自宅近くの墓に植えた。すると、見る間に生育し、今や秀夫さんの身長の倍を優に超えた。秀夫さんは「銘板を作って雪囲いもこしらえたら、こんな大きくなってしまって」とはにかむ。その成長は、竜一さんが生きるはずだった人生を投影しているかのようだった。

 17日は財布に一枚の写真を入れて、慰霊献花式に臨んだ。焼き肉店で肩を並べる父子。「死ぬ前夜に食事できた俺は幸せ者だよ。それさえできない別れもいっぱいあったんやから」(竹本拓也)

2019/1/17