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年末年始に帰省した三苫望美さん(左)と紗來ちゃんを笑顔で迎える野村佳さん=西宮市甲子園浜田町(撮影・風斗雅博)
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年末年始に帰省した三苫望美さん(左)と紗來ちゃんを笑顔で迎える野村佳さん=西宮市甲子園浜田町(撮影・風斗雅博)
震災から3カ月。望美さん(中央)の小学校入学式に参列した祖父の野村一夫さん(左)と祖母の佳さん(三苫望美さん提供)
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震災から3カ月。望美さん(中央)の小学校入学式に参列した祖父の野村一夫さん(左)と祖母の佳さん(三苫望美さん提供)

 「生き運がある。強い子や」。全壊した文化住宅から奇跡的に助け出された三苫望美さん(30)。引き取った祖母の野村佳さん(84)は孫をそう表現した。

 震災の1年半前。兵庫県西宮市の自宅近くにある文化住宅の部屋に空きが出た。望美さんの母美貴さん(享年33)を呼び寄せたのは、佳さんだった。美貴さんは離婚した直後で、近くにいれば子育てをサポートしてやれる-。そんな親心だった。

 だが、美貴さんと望美さんの双子の兄、昭雄君(同6)はあの日、命を落とした。「2人は私が殺したようなもん」。今でも、佳さんの悔いは消えない。

 そして悲しむ暇もなく始まった「孫育て」。震災から3カ月後には望美さんは小学生になった。当時、佳さんは60歳。夫の一夫さんは63歳。定年退職していた一夫さんは復職し、佳さんも働きながら毎日、仮設住宅から小学校まで望美さんを自転車の後ろに乗せて、送り迎えした。寂しい思いをさせないように、寝るときはいつも添い寝した。

 震災から1年後。2人の一周忌を済ませたころ、佳さんは風邪を悪化させ、肺炎で1カ月入院した。真っ先に浮かんだのは望美さんの顔だった。「あの子のために死なれへん」。大学を卒業させ、車の免許証を取らせ、成人式には形見となった美貴さんの着物を着せて祝った。「普通の親がやってあげることは全部やってあげた」

 周りの人にも助けられた。望美さんのランドセルは近所の人が用意してくれた。遺児を支援する団体に旅行へ連れて行ってもらった。「あちこちでお世話になったから、ここまで育ててこられた」と感謝する。

 望美さんが25歳で結婚した時「私はいつまで生きているか分からない。戻る所はないよ」と祝福の言葉は厳しめだった。埼玉へ嫁ぐ日、望美さんは「お世話になりました」と頭を下げた。普段はお礼やお世辞を言わない孫の姿に、「調子狂うこと言うたから、うれしいやら寂しいやら」。笑って送り出した。

     ◇

 佳さんは84歳になった。腰は曲がり、身長150センチの小柄な体はより小さく見える。両足の股関節を手術し、家事もやっとだ。共に「孫育て」した一夫さん(87)は数年前にアルツハイマー型認知症と診断され、3年前から施設で生活する。望美さんのことも、もう分からない。ひ孫の誕生も認識できなかった。「会うたびに老いを感じて悲しい。ショックだけど、どうしようもない」と望美さん。「じいちゃんとばあちゃんに埼玉まで来てもらうのは無理かなと思う。西宮はとても遠く感じる」

 昨年末、望美さんは娘の紗來ちゃん(10カ月)をつれて実家へ帰省した。出迎えた佳さんは、ひ孫との再会を喜んだ。「ああ」と声を上げるようになった紗來ちゃんに、佳さんは「今しゃべったなぁ?」と手をたたいて破顔した。佳さんの目標は長生きして紗來ちゃんのランドセル姿を見ること。「紗來は孫みたいなもんや。人並みに大きくなってくれたら上等」と笑う。

 震災から24年がたった。今、望美さんはこう思うようになった。「失われた命もあるけど、生まれてきてくれた命もある。今はとっても幸せ」。残された家族と周りの人に支えられながら大きくなった遺児たちは、被災地から遠く離れた新しい場所で、自分たちの人生を着実に歩んでいる。(斉藤絵美)

2019/1/24

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