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遺族代表として、震災から24年の思いを語る柴田大輔さん(中央)=17日午前5時56分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・大山伸一郎)
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遺族代表として、震災から24年の思いを語る柴田大輔さん(中央)=17日午前5時56分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・大山伸一郎)

 神戸・三宮の東遊園地で開かれた神戸市の追悼行事「1・17のつどい」には17日午前5時前から参列者が集まった。灯ろうでかたどった「1995 つなぐ 1・17」の文字に順に火がともされ、地震が起きた午前5時46分に合わせて黙とうをささげた。

 遺族代表として参列した神戸市長田区の柴田大輔さん(31)は、弟の宏亮(ひろあき)ちゃん=当時(3)=と知幸(ともゆき)ちゃん=同(1)=を亡くした24年前を思い起こし「弟たちのような犠牲者をまた出してほしくない」と語った。

 久元喜造市長は災害に強いまちづくりを進め、防災、健康分野で貢献していく決意を述べた。(若林幹夫)

 柴田さんの追悼の言葉は次の通り。

 「震災から24年がたちましたが、この日が来ると恐怖があり、眠れません。

 震災当時、父、母、弟2人と私の家族5人は、長田区の2階建ての住宅に住んでいました。私は小学1年生。私たち家族は1階で一緒に寝ていましたが、震災で1階がつぶれ、全員が下敷きになりました。

 父の助けを呼ぶ声、母の弟たちを呼ぶ声、次男の普段と違う泣き声、三男は泣き声すら聞こえなかったこと、今も鮮明に思い出せます。父と私は助かりましたが、母は重傷を負い、弟たちはその場で亡くなっていました。2週間近くを避難所と母が入院する病院で過ごした後、祖母らとつぶれた家を見に行き、自衛隊に掘り出された弟たちの姿を目にしたときは気が動転し、何が何だがさっぱり分かりませんでした。

 その後、身内の家を転々とし、母が退院するまで、仮設住宅で父との生活が続きました。5人の生活と比べて寂しく、地震の恐怖で父と離れたくない思いが強かったことから不登校になりました。しかし学生ボランティアに外に連れ出され、一緒に遊んでもらったことなどでまた学校に行けるようになりました。教室に行きたくないときは、校長先生が校長室で勉強を教えてくださり、担任の先生は放課後に家まで来て勉強を教えてくださりました。

 あの時、たくさんの方々に助けられたことで、自分自身も人の役に立ちたい思うようになり、18歳で消防団に入り、現在も活動しています。2年前からは語り部グループの活動にも参加しています。

 私の弟たちのような犠牲者をまた出してほしくない、防災の役に立ちたいとの思いから、震災体験を語っていきます。これからもずっと、弟たちのことを忘れず、弟たちの分まで頑張っていきたいと思います」

2019/1/17

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