連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

記事特集

  • 印刷
「震災をいつまでも語り続けたい」と話す小島汀さん=神戸市灘区六甲台町(撮影・後藤亮平)
拡大
「震災をいつまでも語り続けたい」と話す小島汀さん=神戸市灘区六甲台町(撮影・後藤亮平)

 阪神・淡路大震災で父親を亡くした兵庫県芦屋市のブライダルプランナー小島汀さん(27)が、17日に東京で初めて開かれる追悼行事「1・17のつどい」に足を運ぶ。震災は人生を一変させたが、震災から生まれたたくさんの出会いで前を向けた。「いつまでも忘れてほしくない」。災害が相次ぐ中、24年たっても震災を語り続ける姿が「被災者の希望になる」と信じている。

 あの日、家族と暮らした同市のアパートは全壊した。がれきの下敷きになり、父の謙さん=当時(36)=が犠牲になった。

 当時は3歳。被災の記憶はあまりないが、人が忙しく動き回る避難所の様子を覚えている。そこに遺児を捜して訪ねてきた大学生がおり、あしなが育英会と関わるきっかけになった。

 小学1年生の時にできた神戸レインボーハウス(神戸市東灘区)に毎日のように通った。境遇を語らずとも分かち合える仲間の存在に「心を許せる人がいる本当の家」と実感した。

 兵庫県立舞子高校(同市垂水区)の環境防災科で学び、国内外の被災地を訪ねる機会が生まれた。「父を失った大事な出来事の震災を語れる最後の世代」と思い、国内外で体験を語り続けてきた。

 忘れられない体験がある。大学生の時に起きた東日本大震災で、津波が押し寄せた岩手県釜石市で中学校の先生たちとの出会いだ。

 何かしたい思いに駆られて東北を目指したが、何をすればいいのか分からなかった。不安な気持ちの時、ある先生から「(あなたが)来てくれるだけで希望になる」と告げられた。

 震災遺児の小島さんが成長した姿に、その先生は東日本の遺児らの将来を重ねていた。被災地に足を運ぶ意義をあらためて捉え直し、今も東北に通って被災者との交流を続けている。

 震災への思いを広く共有しようと開催される東京会場のつどい。小島さんは実行委員会の参加の呼び掛けを快諾し、体験を語る。

 「震災は父を奪ったが、父のおかげでたくさんの出会いが生まれた」とかみしめる。「支えてくれた人たちに恥じない人生にしたい。元気にやっている姿を父にも見てほしいと思う」

(金 旻革)

2019/1/15

天気(10月17日)

  • 23℃
  • 16℃
  • 30%

  • 22℃
  • 8℃
  • 20%

  • 22℃
  • 15℃
  • 40%

  • 21℃
  • 14℃
  • 40%

お知らせ