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地震発生時刻に合わせ、黙とうをする人たち=17日午前5時46分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・辰巳直之)
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地震発生時刻に合わせ、黙とうをする人たち=17日午前5時46分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・辰巳直之)

 6434人が亡くなり、3人が行方不明になった阪神・淡路大震災は17日、発生から24年を迎えた。午前5時46分、追悼の祈りが各地でささげられ、神戸市中央区の東遊園地では約5千本の竹灯籠に鎮魂の明かりがともった。「1995 つなぐ 1・17」。面影がまぶたに浮かび、涙が頬を伝う。「会いたい」。語り掛ける言葉が、あの日と今日の被災地を結ぶ。

■三女の舞さん=当時(21)=を亡くした田中亨さん(80)と妻の美榮子さん(77)=神戸市灘区(神戸市中央区の東遊園地で)

 高校は陸上部で、甲南大ではチアリーダー。活動的でかわいくて、友達もたくさんいて、親からみても「ようこんないい子に育ったな」って感じてた。

 5人家族で、亡くなったのが一番若かった舞。「21年と定まった命を、ぎゅっと凝縮して生きた」と信じることで、少しずつだけど、舞の思い出を笑顔で振り返ることができるようになったかな。

 でもね、この前、震災のテレビドラマがあって、2人で見てたんだよね。すぐに消しちゃった。つらいよ。やっぱり、つらいよ。

■祖母の新谷須磨子さん=当時(83)=を亡くした姉妹、主婦小田志保さん(44)=兵庫県西宮市=とパート従業員千賀奈美さん(39)=神戸市東灘区(東遊園地で)

 西宮北口の自宅が全壊し1階に3人で寝ていたけど、おばあちゃんだけが亡くなった。おばあちゃんが私たちを守ってくれたのかな。1月17日はいつも西宮の記念碑公園だったけど、「そういえば行ったことないね」と初めて東遊園地に来た。この日の寒さはまるで震災当時のよう。竹灯籠の明かり一つ一つにおばあちゃんの思い出が浮かんだ。人も多く、これだけ同じ思いをした人がいて、24年間思いが受け継がれてきたんだと改めて感じたよ。

■妹恵子さん=当時(16)=と弟浩二さん=同(13)=を亡くした齋藤昭博さん(41)=兵庫県西宮市(西宮市の西宮震災記念碑公園で)

 地震が起きる直前の午前5時45分までにはここに来る。2人が生きていた時間だから。あの時に戻って部屋から救い出したい。

 きょうだい5人、アパートの同じ部屋で下敷きになった。僕のおなかに当たっていた弟の足が動かなくなって…。名前を叫んだけど返事はなかった。苦しかったやろな。助けられなくてごめん。無力感はずっと変わらない。

 昨年6月の大阪府北部地震の揺れで2人の写真立てが倒れた。「ごめんな」と繰り返す母親を見て、震災がよみがえった。僕が2人の分も生きてやる。

■夫盛寿(もりやす)さん=当時(52)=を亡くした安藤衣子(きぬこ)さん(74)=神戸市須磨区(神戸市長田区のポケットパークで)

 震災当日、私だけいつもより10分早く食べ終わった朝ご飯。あなたが守ってくれたんかな。まだ食べていたら、2人とも1階で家の下敷きになっていた。19歳のときから連れ添ってきた。二つ年上だったけど、今ではすっかり逆転したな。そういや、長男は昨年、あなたと同じ52歳になったよ。

 あなたには感謝しかないわ。震災から立ち上がるためのお金を残してくれてありがとう。あなたによく似た、音楽好きで気難しい3人の子どもをありがとう。私はもうちょっと生きて頑張るわ。見守ってて。そんで、最期は迎えに来てや。

■父の四郎さん=当時(55)=と母のヒサ子さん=同(53)=を亡くした永井靖造さん(50)=神戸市東灘区(神戸市東灘区の本山第一小学校で)

 木造2階建ての自宅が全壊し、1階で寝ていた2人が亡くなった。余震が続く中、がれきの中をもぐっていって太い柱や梁(はり)をチェーンソーで切り、夕方に何とか見つけ出した。

 仲の良い夫婦だった。同居の祖母を世話していて、自分たちのために時間を使うことがなかった。将来は夫婦でのんびり旅行してもらおうと思っていたが、果たせないまま。もうすぐ自分は両親の年齢を追い越す。最近、自分が代わりに生かされているという思いが強くなった。若い世代が災害に備えられるよう、経験者として伝えていきたい。

2019/1/17

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