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船越隆文さんが被災したアパートの跡地で遺影に手を合わせる母明美さん(手前)。後列右端は森信雄さん=17日午前、宝塚市清荒神(撮影・風斗雅博)
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船越隆文さんが被災したアパートの跡地で遺影に手を合わせる母明美さん(手前)。後列右端は森信雄さん=17日午前、宝塚市清荒神(撮影・風斗雅博)

 「この場所がなくなっても心の中で生き続ける」。息子の船越隆文さん=当時(17)=を亡くした兵庫県宝塚市清荒神のアパート跡地で、母明美さん(71)=福岡県太宰府市=はそっと手を合わせた。長く空き地だったが、住宅が建つことになり、この地での追悼は今年で最後となった。

 将棋のプロを目指す奨励会員だった隆文さん。宝塚市在住の森信雄七段(66)の弟子になり、1994年に福岡から引っ越した。力を付け、飛躍を期していたさなか、1人暮らしのアパートが崩れた。

 毎年1月17日、森さんや弟子がこの地で冥福を祈ってきた。だが明美さんはなかなか参加できなかった。朝泣き叫ぶ日々が半年続いた。5年ほどは、どうすれば息子と自分の命を換えてやれるか、アパートの5階から飛び降りたら息子のところに行けるのでは-。そんなことばかり考えた。朝は必ず震災1分前の午前5時45分に目が覚めた。「今、『逃げろ』と言えば助かると思って」

 現実を受けとめられるようになったきっかけは、明美さんの母の一言だった。「もう戻ってこない」とつぶやいた明美さんに、認知症の母が「やっと分かったかね」。体はなくなっても、みんなの心の中で生きる-。年月を経てそう思えるように。震災から約10年後、ようやく息子の最期の地を訪ねることができた。

 大切な場所は姿を変えるが、兄達也さん(44)は「母がここに来られるまで空き地だったことに感謝したい」と話す。森さんらにあいさつした明美さん。「隆文はここで一生懸命に夢を追って充実していたと思う。これからも一緒に将棋をさせてやってください」

 森さんの元にも震災を知らない世代が弟子入りする。森さんは「思いが薄らがないよう今後も船越君のことはしっかり伝えていく」と決意を新たにした。(伊丹昭史)

2019/1/17

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