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阪神・淡路大震災時の自身と同年代の選手らを率い都大路での健闘を誓う浜本憲秀監督=神戸市須磨区、須磨学園
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阪神・淡路大震災時の自身と同年代の選手らを率い都大路での健闘を誓う浜本憲秀監督=神戸市須磨区、須磨学園

 13日に京都市内で開かれる全国都道府県対抗女子駅伝で、監督として初めて兵庫代表を率いる須磨学園高女子陸上部の浜本憲秀監督(39)は24年前の阪神・淡路大震災時、報徳高の選手だった。翌年の全国高校駅伝で優勝に貢献。思い出の詰まった都大路で「スポーツができる平穏な日々に感謝したい」と選手たちの力走を見守る。

 浜本監督は兵庫県相生市生まれ。報徳高に進学し、故鶴谷邦弘監督の自宅に住み込んで練習に打ち込んだ。だが1年生だった1995年1月17日、阪神・淡路大震災で神戸市灘区の鶴谷監督の自宅が全壊、西宮市の学校も大きな被害を受けた。「1カ月間陸上ができず、学校も休校。いろんなことがあった。走ることが好きなんだと再確認した」。震災から1年11カ月後の全国駅伝で、仲間とともに優勝を成し遂げた。

 2007年、須磨学園高のコーチに就任。全国高校駅伝を2度制した名将長谷川重夫氏(現豊田自動織機監督)の元で学び、11年に監督を引き継いだ。17年まで4年間県大会で2位に終わり苦しい時期も経験。「以前は長谷川監督だったらどうするだろうと考えていたが、吹っ切れて、生徒だったらどう思うかと考えるようになった」と教えを胸に刻みながら自己流を追求。自身が教材となってよりよい練習法を探し、選手の顔を見てメニューを決めるなど試行錯誤して、先月の全国高校駅伝では5位入賞した。

 鶴谷監督と同じように、今は選手が自宅に下宿するようになり「命の大切さをより意識するようになった」と優しく見守る。震災について語るとき、被災経験のない若い世代へ「困難なことがあっても、一番大事なことは立ち上がること」というメッセージを伝えるようにしている。

 「毎年、震災があった時期に開かれる大会。兵庫の選手が懸命に走る姿から、何かを感じてくれる人がいれば」。鶴谷監督が亡くなってから30日で1年。恩師に成長した姿を見せるため、2連覇を目指すチームをけん引していく。(金山成美)

2019/1/12