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ボランティアとして活躍していた合田鎮さん(遺族提供)
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ボランティアとして活躍していた合田鎮さん(遺族提供)
仮設住宅があった「はなぞの広場」。松本茂子さんは今年もここで追悼行事を催す=明石市西明石南町1
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仮設住宅があった「はなぞの広場」。松本茂子さんは今年もここで追悼行事を催す=明石市西明石南町1

 JR神戸線西明石駅南の「はなぞの広場」。かつてそこには、阪神・淡路大震災の仮設住宅があった。この場所で初めての追悼行事「未来に継ぐ志」が開かれたのは、震災から20年たった2015年。地元のボランティア団体に加わり、開催に力を尽くした元会社社長は昨年、がんで亡くなった。残されたメンバーが遺志を継ぎ、5回目となる17日、午前5時46分に黙とうをささげる。(吉本晃司)

 追悼行事を開くのは「ボランティア・はなぞの」や花園校区まちづくり協議会のメンバーを中心とする実行委員会。

 「ボランティア・はなぞの」は震災当時、仮設住宅で入居者の支援をしていたグループだ。

 91年、主婦らとともに結成した代表の松本茂子さん(76)は、震災が起きると避難所に集まった被災者に炊き出しなどで支援。仮設住宅ができた3月からは入居者の支援に奔走した。

 西明石の仮設住宅は市内で最初に建設されたため、高齢者や障害者ら配慮が必要な人が多かった。

 「50戸全てに声を掛け、部屋に入り、生活の面倒、ときにはトイレの汚物処理まで手伝った」

 市営住宅などへの転居が進み、97年末に仮設住宅は閉鎖された。

 その後、震災に関連する催しを開くことはほとんどなかった。「校区内に犠牲者はなかったから、メンバーに追悼というほどの気迫がなかった」という。

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 その雰囲気が変わったのは2013年。

 女性中心だったグループに機械メーカーの元社長、合田鎮(まもる)さんが加わる。合田さんは震災で、神戸にあった事務所の従業員4人を失っていた。

 「地域から一人の犠牲者も出さない防災。それを実現するには“思い”だけでなく“仕組み”が必要」

 誰でも立ち寄れる交流拠点の開設や、ボランティア内でお互いに助け合う“セミプロ”の養成など、防災を軸にしたまちづくり策を次々に実行していった。

 仮設住宅跡での追悼行事もその一環だった。

 「防災でぶれずにまちづくりをすると、住民が一体になれる。ボランティアの思いと仕組みを1年に1回確認するのが追悼行事だった」

 合田さんはがんを患い、昨年2月、78歳で他界した。

 松本さんは「住民が顔を合わせたつながりがあってこそ安心して住めるまちができる。その仕組みをつくろうとしたのが合田さん。まちづくりの師匠だった」と振り返る。

 17日は合田さんが亡くなって初めての開催になる。

 「私たちの活動をどこかで見ていると思う。このともしびを絶やしてはいけない」

 強い決意を胸に、会場で約700本のろうそくをともす。

2019/1/16

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