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浦幸子さんとの思い出を語る河合礼子さん=大阪市阿倍野区
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浦幸子さんとの思い出を語る河合礼子さん=大阪市阿倍野区
河合礼子さんが浦幸子さんの両親から受け取った浦さんのスナップ写真
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河合礼子さんが浦幸子さんの両親から受け取った浦さんのスナップ写真

 大阪市阿倍野区の会社員河合礼子さん(51)は阪神・淡路大震災で親友の浦幸子さん=当時(26)=を亡くした。聞き上手で頼もしく、前向きな言葉をもらうたび救われた。あの日以降、河合さんの誕生日である「1・17」は家族全員で「大切な人を思う日」に変わり、3月の浦さんの誕生日は写真とケーキを用意して祝う。「彼女を絶対に忘れない」。それが、今を生きる自分の使命だと思う。

 1968年生まれの同い年。山一証券に同期入社した縁で親しくなり、河合さんが先に転職してからも、毎年どちらかの誕生日に会うのが約束事に。時間がたつのも忘れて飲み語らった。大事なことは文通でも明かし合った。

 95年1月17日朝。浦さんは西宮市高木西町のアパート1階で、夫直人さんと共に崩れた建物の下敷きになった。おなかには3月に出産予定の男の子もいた。河合さんは堺市の自宅で無事だったが、浦さんの安否が分からない。浦さんの勤務先に連絡すると女性社員が泣いて応じた。3人とも助からなかったと知った。

 何で彼女だったのか-。浦さんは同年10月に控えていた河合さんの結婚式で祝辞を読むはずだった。悔しさをぶつける場所がなかった。

 2人を出会わせくれた山一証券が経営破綻したこと。40歳のときに待望の長女真奈さん(10)が生まれたこと。その後も話したいと思う機会は山ほどあった。「彼女はどんな母親になっていたかな」と思いにふけることもある。つらい気持ちは今も消えないが「何かあると背中を押してくれる存在であることに変わりはない」と話す。

 河合さんは毎年1月17日、西宮市の震災記念碑公園に通う。自身の誕生日だが、「この日は大切な人のことを思い出す一日」と家族に説明し、祝うのは避けてきた。真奈さんも河合さんの心境を少しずつ理解し、震災20年の2015年には初めて家族全員で同公園を訪れた。浦さんの3月の誕生日にはケーキを用意して祝うのも恒例となった。「彼女が生きたくても生きられなかった今を精いっぱい生きたい」と誓う。

 今年も同公園で、浦さんが好きだったバーボンにちなんで4輪のバラを手向け、心を静める。「この1年間、よう頑張ったね」と浦さんの声が聞こえてくる。また一年、生きる勇気が湧いてくる。(竹本拓也)

2019/1/16

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