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亡くなった野田二郎さん(左)と寿々さん(栄司さん提供)
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亡くなった野田二郎さん(左)と寿々さん(栄司さん提供)
実家は全焼し、手元に残った両親の写真を見つめる野田栄司さん=西宮市
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実家は全焼し、手元に残った両親の写真を見つめる野田栄司さん=西宮市

 阪神・淡路大震災で両親を亡くした兵庫県西宮市の野田栄司さん(70)が、地元の自治会で世話役を務め、町の防災対策に奔走している。24年前の震災で実家が全焼し、両親の遺骨さえも満足に拾えなかった。「自分の身は自分で、地域の人は地域で守る」。そう決意し、土砂災害警戒区域が点在する地域で、防災訓練や高齢者の支援に取り組む。二度と多くの犠牲者を出さないために。(斉藤絵美)

 野田さんは震災当時、西宮市内の社宅で妻と子ども2人と暮らしていた。趣味のジョギング中だったが、自宅に戻って家族の無事を確認し、市内で暮らす両親の元へ。自転車で向かうと、家が燃えさかっていた。断水で消防団は放水できなかった。なすすべもなく、泣くしかなかった。焼損が激しく、焼け跡から父、二郎さん(享年81)と母、寿々さん(同76)の遺骨は少ししか見つからなかった。

 震災前の正月、いつも通り家族と実家へ帰省し、母が手作りしたお節料理を食べ、父とお酒を飲んで、近所の神社へ参った。声が大きくて厳しかった父と、仕事をしながら苦労して育ててくれた母。「まさか両親が一緒に逝くとは思いもしなかった。もっと生きていたかっただろうと考えると、つらい」と声を詰まらせる。

 それから13年後。60歳で自宅を購入したのを機に、地域の自治会長に推された。町の人たちと垣根なく付き合う中で、「地域のことを知らずに人生を終えるのはさみしいこと」と思うようになった。今は周辺六つの自治会でつくる「六甲東エリア連合会」でも役員を務め、いざという時に備えて、安全な避難や救助策を試行錯誤する。市指定の避難所が土砂災害の危険性が高い場所にあるため、災害時には堅固な建物がある近所の病院に避難させてもらえるよう、住民たちと掛け合った。

 「土砂災害は逃げれば助かる。いかに逃げてもらえるか、が難しい」と話す。阪神・淡路の経験を元に、「発生直後は公助はなかなか動かない。いかに普段から自助、共助を身につけるかが大切」と力説する。

 震災から24年となる17日は例年通り、地震発生時刻に西宮震災記念碑公園に向かう。両親の死に対し「最近になって、やっと運命だったのかな」と思えるようになった。自身も高齢になり、つえを突きながら散歩するのがやっとの毎日。「生きていることだけでありがたい。精いっぱい生きるよ」と報告するつもりだ。

2019/1/17

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