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関西国際大尼崎キャンパス(撮影・斎藤雅志)
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関西国際大尼崎キャンパス(撮影・斎藤雅志)

 阪神・淡路大震災から間もなく24年になる。この間、日本列島は次々に自然災害に見舞われ、2018年は大阪北部地震、西日本豪雨、巨大台風、北海道地震が発生し、多くの犠牲が出た。兵庫県の副知事や初代防災監を務めた関西国際大の齋藤富雄副学長は、これまでの経験から「大災害は今後も起きるし、場所は兵庫かもしれない。わがこととしていかに備え、生き抜くかが問われている」と呼び掛ける。(佐伯竜一)

 -毎年、日本のどこかで大規模な自然災害が起きています。

 「わが国の防災対応の第一義的責務は、住民に近い地方自治体が負う。が、地方自治体の防災力についての整備基準はない。このため、防災に関心が高い地域とそうでない地域で、住民の安全に格差が生じている。大災害は各地で起きているのに、なぜか『うちは大丈夫』と備えを怠るケースが多い。起きて初めて『これではだめだった』と思い知る失敗を繰り返している。国の支援も、被災地が広域になれば十分には届かない」

 「財政規模に関係なく、すべての自治体に基本的な防災体制が必要だ。そのためにも、国に『防災省』などの専門的・継続的組織を設け、日常的に自治体を指導するべきだと唱えてきた。大災害が政権が不安定な時に起きれば、混乱が拡大する。どんな政権であろうが、同じように的確に対応できる仕組みを作るしかない」

 -思い至るには阪神・淡路大震災の反省があった、と?

 「当時、私は県の知事公室次長兼秘書課長で神戸市東灘区に住んでいた。あの朝は新神戸駅を午前6時43分に出る新幹線に乗り、東京に行く予定で、5時半に起きていた。突然の激震に妻と身を縮めるしかなく、家の中は上下を逆さにしたよう。外に出て近所の人を助けたりするうちに少し落ち着き、6時半ごろになってようやく(故・貝原俊民)知事のことが頭をかすめた」

 「家から公舎までは約6キロ。自転車で向かったものの、あちこちで火災が起き、道路は壊れた建物でふさがれ、なかなか進めなかった。7時半ごろに公舎に着くと、中はぐちゃぐちゃだったが、幸い知事は無事だった。県庁とも連絡が取れ、職員が車で迎えに来るとのことで、私は家族を避難させるためにいったん自宅に戻った。このことを今も後悔している。知事は8時前には県庁に着いたが、車の迎えを待っていたと非難を受けたからだ。この後、知事は100日間、家に戻らず被災者対策に当たった。私も翌日出勤し、一緒に県庁で寝泊まりした」

 -兵庫では地震など起きないと、多くの人が思っていました。

 「私自身も思い込んでいた。防災計画の存在は知っていたが、読み込んでいなかった。しかし、兵庫でも昔から大きな地震が起きていた。あの朝、直前まで寝ていた布団には本棚やテレビが倒れてきた。東京に行く用事がなく、いつも通りに寝ていたら命がなかったかもしれない」

 -1996年、全国初の県防災監に就きました。後に、同様のポストが全都道府県に配されます。

 「すべての首長が防災の専門知識を持っているとは限らない。防災監は専門知識で補佐する。四六時中、危機管理について意識を集中している人間がいれば、トラブルの小さな芽に気付ける。加えて、過去の失敗の経験をしっかり受け継ぐことが重要だ」

 -それが危機管理教育の大切さを説くことにつながっている?

 「災害多発時代を生きる現代人の基礎教養として欠かせない。誰でも大規模災害に必ず遭遇する。この世に命より尊いものはなく、命を尊ぶ意識は助け合いの精神を生む。困っている人がいれば、助けに動く発想につながる。防災危機管理の技能や技術は時代と共に進歩する。それでも『防災は人』という基本は変わらない」

 「防災監を命じられた時、知事から『ライフワークにしなさい』と言われ、これまでやってきた。子供にも大人にも伝えるべきことがある。教育界に身を置く機会を得て、培ったノウハウを少しでも後世につなぐ努力をしたい」

【さいとう・とみお】1945年生まれ、兵庫県出石町(現豊岡市)出身。関西大法学部卒。63年兵庫県庁。96~2001年に危機管理の初代防災監、01~09年に副知事。17年4月から現職。

2019/1/13

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