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「この時間は寒いし暗い。おじいちゃんもそう感じたかな」。阪神・淡路大震災で亡くなった祖父幸田修一さんの遺影を抱く行武峻さん=17日午前5時46分、西宮市(撮影・風斗雅博)
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「この時間は寒いし暗い。おじいちゃんもそう感じたかな」。阪神・淡路大震災で亡くなった祖父幸田修一さんの遺影を抱く行武峻さん=17日午前5時46分、西宮市(撮影・風斗雅博)

 祖父の生きざまを知った。初めて家族と語り合った。兵庫県立西宮北高校2年の行武峻さん(17)=西宮市=はこの冬、高校の人権講演会で心に残った言葉が、阪神・淡路大震災で命を落とした祖父が発したと知った。さらに、教員として人権教育にささげた人柄と足跡も。予期しない最期、今も生きる思い-。別れを受け入れらずにいた祖母や母が打ち明けた。巡ってきた24回目の1・17。行武さんは、その重みを胸に刻む。(小谷千穂)

 行武さんは震災から6年後の初夏、西宮市で生まれた。母方の祖父で元小学校長、幸田修一さん(享年61)について知るのは教師だったことぐらい。毎年の1月17日も、学校の防災教育も、あまり自分とは結びつかなかった。

 家族は祖父の話をほとんどしなかった。激震で突然突き付けられた別れだったためだ。西宮にあった戸建て自宅は全壊。1階で寝ていた祖父は壁の下敷きになった。幸田さんの次女で、行武さんの母祐子さんは「直前まで元気だったのに」と嘆き、祖母(81)は夫の死後も「まだ近くにいる気がして…」と思い出を語ることができなかった。

 転機は昨年11月、高校の人権講演会。講師の元小学教諭仲島正教さん(62)が「恩師の言葉」を紹介した。「『優しい』という漢字は『憂い』の横に『人』。憂いのある人の横に寄り添うことが『優しい』」と。行武さんは帰宅し、スマートフォンで検索すると、仲島さんに言葉を贈った恩師こそが祖父と分かった。

 それを聞いた家族は「奇跡みたい」と、一気に話し始めた。「家では気さくだった」「仕事になると熱い人」-。中学教諭だった幸田さんは、部落差別や貧困問題の解決に向けて尽力した。家庭の事情で昼は学べない子どもを受け入れる「校外学級」の開設に努め、同市の人権教育の開拓者だった。定年退職後は自ら校外学級の主任を担い、多くの教え子が弔問に訪れた。

 次々と明らかになる祖父の姿と歩み。行武さんは「すごい人やったんや。何も知らず、知ろうともしなかった」と振り返る。

 行武さんの得意な科目は地学。祖父幸田さんの専門教科も理科だった。「将来は地震を予知できるような研究がしたい」と話す。

 特別な日となった17日。午前5時46分、行武さんは「いつもと違い、震災を身近に感じる」と目を閉じた。「祖父の言う『優しさ』を継ぎ、震災と向き合っていきたい。自分たちの世代がそうでないと風化してしまうから」と力を込めた。

2019/1/17

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