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16歳で亡くなった三男の宏和さんを思い、竹灯籠に灯をともす工藤文子さん=17日午前5時21分、神戸市中央区加納町6(撮影・大山伸一郎)
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16歳で亡くなった三男の宏和さんを思い、竹灯籠に灯をともす工藤文子さん=17日午前5時21分、神戸市中央区加納町6(撮影・大山伸一郎)

 あの日より暖かいはずなのに、合わせる手が震える。前を向いたはずなのに、また涙がこぼれる。阪神・淡路大震災から24年。被災地の夜明けに祈りが満ちる。「ごめんね」。息子を失った母がつぶやく。「これで区切りかな」。亡き親の年齢に追いついた男性は教訓の継承を次代に託す。「震災と向き合う」。在りし日の祖父の姿に触れた高校生が誓った。それぞれの1・17。静かに目を閉じ、大切なあの人と言葉を交わす。

 息子の笑顔と歌声を思い出しながら、竹灯籠の炎をじっと見つめた。「一人だけ逝かせちゃってつらかったね。ごめんね」。高校1年だった三男の宏和さん=当時(16)=を亡くした工藤文子さん(69)=神戸市東灘区=は、今年も神戸・東遊園地で午前5時46分を迎えた。

 24年前、同市灘区のJR六甲道駅近くにあった木造平屋に夫の吉明さんと暮らし、手狭だったため宏和さんは向かいの3階建てアパートの2階に住んでいた。同駅の駅舎が倒壊するほどの激震に、平屋は全壊。工藤さんと吉明さんは家具などを押しのけ、何とか外へとはい出した。

 「宏和は?」。向かいに立っていたはずのアパートは完全に崩れ、階段はがれきで埋め尽くされていた。安否を確認しようにも、部屋に近づくことさえできない。「宏和! 宏和!」。2人でどれだけ呼び掛けても、返事はなかった。

 宏和さんが遺体となって運び出されたのは4日後。「もし、私たちと一緒に住んでいれば」。あふれる涙をぬぐっても、後悔が消えることはなかった。

 末っ子で音楽が大好きだったという宏和さん。普段は買い物に誘ってもつれなかったが、「CD買ってあげるよ」と声をかけた時だけ喜んでついてきた。

 高校では友人とバンドを組み、ボーカルを担当していたが、文子さんがその歌声を聞いたのは一度しかない。家族で行ったカラオケで、地声とは違う澄んだ声に驚いた。「もっと聞きたかったなあ」。今もよくそう思う。アルバイト代とお年玉をためて買ったエレキギターは、一度も弾くことがないままだった。

 震災前夜。宏和さんが自宅の電話で友人からの相談に乗ってあげていた。「あんたはほんま優しい子やねえ」。何げないそんなやりとりが、最後の会話になってしまった。

 宏和さんが眠るお寺には今も多くの友人が訪れる。2、3日前には、幼なじみが結婚報告に来てくれた。祝福しながらも、ふと考えてしまう。「宏和も生きてたら、今ごろきれいなお嫁さんをもらってたのかな」

 震災後数年は1月17日にアパート跡地を訪れたが、再開発ビルが建ってからは東遊園地で手を合わせる。吉明さんは4年前に亡くなった。「今はお父さんもそっちにいるから少し安心。元気でいるから見守ってね」。心の中でそう呼び掛けると、宏和さんがそばに来てくれた気がした。(綱嶋葉名)

2019/1/17

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