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亡き母と同い年に、退く決心 追悼慰霊祭の会長職

2019/01/17 15:27

 「同い年になったよ。家のもんは元気にしてるで」。母政枝さん=当時(85)=の名前が刻まれた碑に、永島長一郎さん(85)=神戸市東灘区=はそう語り掛けた。住民206人が犠牲になった同区・魚崎地区で催された追悼慰霊祭。遺族ら約130人と祈りをささげた後、永島さんは慰霊祭を主催する「魚崎町1・17会」の会長を退くことを決めた。

 あの日、木造2階建ての酒屋店舗兼自宅が崩れ、1階にいた政枝さんは下敷きになった。約5時間後に救出されたが、既に息絶えていた。外傷は無く、顔は驚くほどきれいだった。

 大工だった政枝さんの父が結婚祝いに建ててくれた自慢の自宅だった。震災前夜、その食卓ですき焼きを食べ「この肉、甘うておいしい」と笑う姿を覚えている永島さんは「倒れた家を見ずに済んで、よかったかもしれへん」とも思った。

 「生まれ育った魚崎のため、震災を忘れないため」。永島さんは民生委員を務める傍ら、地区内の復興住宅を月2回訪問し、入居者に弁当を届け続けた。慰霊祭にも携わり、2013年に「魚崎町1・17会」の会長も引き受けた。だが、来年で震災から四半世紀。体調に不安を感じるようになり、政枝さんの年齢に追い付いた今回の慰霊祭で一区切りにすると決心した。

 永島さんはこの日、慰霊祭のあいさつで「わずか17秒の激震で魚崎地区は壊滅状態になった」と強調した。地域を担う次の世代へ、「あの震災の教訓を忘れず、常に備えなくてはならない」というメッセージを込めたつもりだ。(篠原拓真)

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