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震災で全壊した店から取り出した刺し身包丁で魚をさばく田中和良さん=淡路市富島
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震災で全壊した店から取り出した刺し身包丁で魚をさばく田中和良さん=淡路市富島

 阪神・淡路大震災から25年となる来年1月17日夕、震源地近くの兵庫県淡路市富島(としま)地区の地元住民らが初めて、犠牲者を追悼するとともに記憶の継承を願い、約2千本の竹灯籠をともす。発案した一人は、震災で父禎一(ていいち)さん=当時(78)=を亡くした田中和良さん(64)。区画整理で町並みは整然としたが、人口が半分近くに減った地区の現状から「富島の町をもっと知ってほしい。そして、もっと復興したい」との思いを込める。(上田勇紀)

 和良さんは、富島の鮮魚店「兵部(ひょうぶ)」の4代目。震災で店は全壊したが、仮設店舗を経て再建し、現在は鮮魚・飲食店として妻と老舗の看板を守る。

 禎一さんはあの日、早朝から店にいた。和良さんが近くの自宅から駆け付けると、木造2階建ての店は崩れ、屋根瓦しか見えない。「助けてくれ」。声を頼りに、近所の人がのこぎりで2階の床板を切って救出した。救急車が来ず、和良さんが車で診療所に運んだが、肺に肋骨(ろっこつ)が刺さった状態で手に負えず、さらに洲本市の病院へ。たどり着いた時はもう手遅れだった。

 淡路島の中でも富島地区の被害は大きく、26人が犠牲に。建物の8割は全半壊した。土地区画整理事業が完了したのは、14年後の2009年。道幅は広くなり整然としたが、商店が肩を寄せ合う漁師町の風情は失われた。

 震災前に2200人を超えた人口は、高齢化もあり約1300人に減少。空き地も目立ち、和良さんは「昔は店が並んで何でもそろった富島に、人が来(こ)んようになった」と寂しがる。

 そんな中、震災から四半世紀の節目に合わせ、地元の仲間たちと竹灯籠を企画。中華料理店を営む倉本肇(はじめ)さん(73)も「亡くなった人を追悼し、活気を取り戻すきっかけにもなれば」と願う。富島地区まちづくり推進協議会が主催し、北淡震災記念公園(淡路市小倉)が協力する。

 竹灯籠は、地区内の道路沿いに約1キロにわたって並べ、当日午後4時半ごろから発光ダイオード(LED)で照らす計画。同協議会事務局長で、同公園総支配人でもある米山(こめやま)正幸さん(53)は「甚大な被害を受けた富島の町を挙げて、震災の記憶を次の世代に伝える機会になれば」と話している。

2019/12/26

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