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長男の隆司さんが中学校で着た制服を手に、思いを語る糸川幸信さん=伊丹市内
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長男の隆司さんが中学校で着た制服を手に、思いを語る糸川幸信さん=伊丹市内
糸川隆司さん
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糸川隆司さん

 阪神・淡路大震災から17日で丸25年となった。ようやく兵庫県・宝塚でも亡くした家族の名前が刻まれる。

 「隆司が生きた証しを残せる」。糸川幸信さん(68)は碑に刻銘できると聞かされ、賛成した。中学3年生だった長男隆司さん=当時(14)=を亡くした。昨日のことのように突然、息子が頭に浮かぶ。胸が詰まる。「仕事を優先して、十分に関わってやれなかった」という自責の念と共に-。

■隆司の魂を感じられる場所に

 震災で、住んでいた宝塚市星の荘の2階建て文化住宅が全壊。明るくなってから、隆司さんが寝ていた1階が押しつぶされているのに気付いた。だが、「外に逃げてるやろう」。なぜか気楽に考えていた。

 むしろ仕事が気になった。トラック運転手だった糸川さんは離れた車庫に車の確認に向かった。家に戻ると、近所の人に隆司さんが病院に運ばれたと知らされた。「けがでもしたんか」と病院を訪れると、毛布を掛けられ床に横たわる息子がいた。妻は「死んだ」と言うが、きれいな顔で笑っているようだった。死の実感が湧かなかった。

 慌ただしく半月ほどを過ごし、仕事に戻った。昼間は平気でも、夜の長距離運転でハンドルを握っていると涙がこぼれた。思えば、自営業の頃に抱えた借金を返済しようと、仕事が第一だった。失った隆司さんと一緒に遊んだ記憶はなかった。「家のことは妻に任せきりのあかん父親。子どもへの関心が少なかった」。工業高校の電気科を目指していたのも死後に知った。

 震災後、伊丹市に移ったが、命日には隆司さんの友人や先輩らが毎年のように訪ねてくれた。女の子から人気があったこと、世話焼きだったこと。思い出話を聞きながら、「もっと関わりたかった」と悔いた。

 隆司さんが育ち、亡くなった文化住宅の跡には一度も足を運んでいない。参る墓もない。時折頭の中に現れるが、息子の存在が「形」として感じられる物は自宅以外で見当たらなかった。

 「『死んだ』と聞いても忘れてしまうが、名前が刻まれるだけで『確かにこの世に生きた』と分かるようになる」。「追悼の碑」に名を記すことに迷いはなく、父親として「やれることをやってやりたい」との思いだった。

 17日に宝塚・ゆずり葉緑地である碑の除幕式は仕事のため、立ち会えない。でも、「隆司の魂を感じられる場所になる。落ち着けば、会いに行きたい」。休日にゆっくり訪ねるつもりだ。(初鹿野俊)

2020/1/17

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