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プラットインの本社でスタッフと並ぶ高田隼渡社長(左端)。東京にも拠点を構え、企業の採用サイトやウェブ制作を手掛ける=大阪市中央区本町4
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プラットインの本社でスタッフと並ぶ高田隼渡社長(左端)。東京にも拠点を構え、企業の採用サイトやウェブ制作を手掛ける=大阪市中央区本町4
高田隼渡社長が経営者を志し、自室に飾った言葉(本人提供)
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高田隼渡社長が経営者を志し、自室に飾った言葉(本人提供)

 「待ってろ 孫正義、柳井正、小倉昌男、藤田晋 すぐに抜かすぞ!」

 軽貨物運送業「フロム神戸」(神戸市中央区)社長の高田隼渡(はやと)(35)が19歳のころ、自室に張った一枚の紙切れが今も残る。

 母のキクヨを楽にさせたい、親孝行したいとの思いから、「社長になってもうける」ことを将来の目標に掲げた。名だたる経営者に並び、追い抜く-。やがて夢は「日本一の経営者」に膨らんでいった。

 中学卒業後、兵庫県西宮市の私立高校へ。部活の中国武術で全国大会に出場する一方、学費が高い私立での勉学に負い目を感じていた。「家族に迷惑は掛けたくない」。学業の合間を縫い、自ら稼いだ。

 夏休みに全国高校野球選手権が開かれる甲子園球場(西宮市)で売り子のアルバイトをした。トップセールスの辣腕(らつわん)を手本に、ほかの売り子が働かない昼休憩中に動き回った。たった12日間の仕事だったが、売り上げは全体の2位を記録した。

 立命館大では企業家養成コースで学ぶ一方、企業のインターンシップに参加して通信機器の営業などを経験する。2年生からは学業の傍ら、人材育成を手掛けるコンサルティング会社に勤め、昼は営業、夜は資料作りの日々。会社が用意したマンションに住み込み、財務諸表を読み込んだ。

 「経営者になるために」。その一心で、貪欲に知識と経験を積み重ねた。

    ◇

 2002年に父の義文(66)が創業したフロム神戸は、08年のリーマン・ショックで仕事が激減。取引先が配送を外注から自前に切り替えたためで、安定収入源の専属便は、稼働が平時の5分の1に落ち込んだ。

 同じころ、キクヨががんで余命宣告を受ける。看病のため会社を辞め、実家に戻った隼渡に義文が声を掛けた。「家を手伝ってほしい」。本音は「継いでほしい」だった。

 キクヨは09年3月に死去。隼渡は母親に孝行できなかった現実を悔やみ、「せめて父親孝行しよう」と決意する。同月、大学卒業と同時に家業を継いだ。

 縮んだ取引を拡大するため、同年6月に個人事業主だったフロム神戸を法人化。社長に就いて個人保証も負い「逃げ道がない方が頑張れる」と覚悟を決めた。

 だが現実は「地獄の始まり。先が見えなかった」と振り返る。業績は上向かず、大学時代の自信は打ちのめされた。義文とは毎日のように衝突。「少し距離を置きたい」と、事業を続けながら別会社の役員も兼務した。

 苦境の中でも、隼渡には温めていた構想があった。物流とITを融合し、業界に欠かせないプラットフォームやインフラをつくること。16年、大阪にIT企業「プラットイン」を設立し、企業の採用支援やウェブ制作を手掛けつつ、物流インフラの構築に乗り出した。

 この頃、適度な距離感が分かり、親子仲は少しずつ改善に向かっていた。プラットインの設立日は9月13日。義文の63歳の誕生日だった。=敬称略=(横田良平)

2020/1/15

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