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ビワの木の下で、ほほ笑む廣岡卓樹さん、ひろ子さん=淡路市室津
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ビワの木の下で、ほほ笑む廣岡卓樹さん、ひろ子さん=淡路市室津

 阪神・淡路大震災で被害が集中した旧北淡町(現兵庫県淡路市)の名産ビワ。その味で元気を出してもらおうと、北海道南西沖地震や東日本大震災、熊本地震の被災地に贈り続ける夫婦がいる。震災翌年に植えた苗は立派に育ち、毎年、実を付ける。丹精して育てた素朴な甘さが、被災地同士の絆を深めている。(上田勇紀)

 冬場も手入れが必要なビワを丁寧に栽培し続けるのは、淡路市室津の廣岡卓樹(たかき)さん(71)と、妻ひろ子さん(70)。卓樹さんは1995年1月の震災当時、北淡町の総務課長だった。激震の直後、家族の無事を確認し、すぐさま富島地区の町役場へ。「助けてくれ」「どうなってるんや」。役場の電話が鳴りやまない。職員も被災する中、災害対策本部の設置、避難所の開設、合同慰霊祭…。次々と課題に向き合った。一時帰宅できたのは2週間後。一心不乱だった。

 ビワは震災の翌年、「何か地に根を張るものを」と考えたのがきっかけで、自宅近くの山に5本植えた。4~5年後からは毎年6月、実がなるように。ふと、震災直後に北海道奥尻町から来てくれた町職員の顔が浮かんだ。

 93年の北海道南西沖地震で死者・行方不明者が198人に上った同町。「淡路までバスで医療団が来てくれた。あのときの感謝の気持ちを伝えたかった」と卓樹さん。北淡町と奥尻町は96年に姉妹提携を結び、交流もあった。ビワを職員に贈ると「初めて食べました」と喜ばれたという。

 その後増やしたビワの木は約150本に。職員の派遣や、社会福祉協議会を通じてつながりができた被災地にも贈る。2011年の東日本大震災後は、福島県須賀川市や宮城県名取市などへ。16年の熊本地震の被災地にも届けている。

 「仮設住宅から『元気を頂きました』とお礼の言葉をもらったときは、うれしかった」と、ひろ子さんは目を細める。

 卓樹さんは、北淡震災記念公園の語り部として、経験を次世代に伝えている。「あの日、犠牲者の数がどんどん増え、ご遺族からの電話に事務的に対応してしまった。それが悔やまれて…。あれから涙が出なくなった」。25年たっても、過酷な記憶は鮮明に残る。

 「これからも、できる限り続けていきたい」と夫妻。“北淡の味”で、被災地の心を和ませる。

2020/1/5

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