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親子で会社を切り盛りしている高田隼渡社長(左)と、父の義文会長=神戸市中央区若菜通5
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親子で会社を切り盛りしている高田隼渡社長(左)と、父の義文会長=神戸市中央区若菜通5
自宅でくつろぐ高田隼渡さん(中央)と父義文さん(右)、母キクヨさん=神戸市中央区(1994年、隼渡さん提供))
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自宅でくつろぐ高田隼渡さん(中央)と父義文さん(右)、母キクヨさん=神戸市中央区(1994年、隼渡さん提供))

 午前8時。軽貨物運送業「フロム神戸」会長の高田義文(66)は軽貨物車に乗り込み、自宅から仕事先へ向かった。大学の各キャンパスに書類などを配達する専属業務。神戸市内数カ所を巡り、日が暮れるまでハンドルを握り続ける。

 途中、阪急春日野道駅に近い自社の事務所に立ち寄る。「ご苦労さま」。ねぎらいの言葉が響く。声の主は、長男で社長の高田隼渡(はやと)(35)。業務の何げない会話が淡々と続いた。

 隼渡は昨年9月、同駅近くに倉庫を構えた。後を継いで10年。「ギアを入れていこう」と、百貨店の小口配送などの業務も請け負うためだ。経営者の息子を父親が手足となって支える。親子の穏やかな会話も、ようやく板についてきた。

 25年前、神戸市中央区大日通のマンション2階。1列で寝ていた家族4人は「ブルドーザーが突っ込んできたような衝撃」で跳び起きた。隼渡の姉絵美子=当時(11)=の目の前に倒れてきたタンスを、義文と妻キクヨ=同(38)=が必死で抑えた。一番遠くで寝ていた隼渡は、急いで机の下に逃げ込んだ。

 一部損壊の認定を受けた自宅は足の踏み場もないありさまだった。一家は近くの宮本小へ。だがすぐに避難者であふれ、最初の一晩は車の中で過ごした。その後、近くの施設や同市北区の親類宅に避難。自宅に戻ったのは2カ月後だった。

 義文は勤務していた神戸・花隈の会社が被災。操業が止まり、資金繰りに苦しむ状況に「何か居づらくなって」自ら退社した。百貨店で催事などを企画・運営する会社に再就職したが、雰囲気が合わず離職。職を転々とし、兄が経営する運送会社を手伝うなどした。

 「ボーナスもあり、居心地は良かった。被災しなければ(花隈で)働き続けていた」と義文。「妻には迷惑を掛けた」と振り返る。キクヨもパート勤めをしていたが生活は楽ではなく、義文に安定した会社勤めを求めていたという。

 隼渡も子ども心に家の現状を案じていた。稼ぎが安定せず、母親に苦労を掛ける父親を快く思えず「親子仲は悪かった」。中学時代から親類の家業を手伝い、自ら家計を助けた。

 兄からも独立した義文は2002年にフロム神戸を創業。屋号には「神戸から何かを発信したい」との思いを込めた。東京や鹿児島などに出向くと、被災体験を尋ねられることが多く、「神戸から元気に来た、と伝えることができた」と義文。会社の専属便の仕事で印刷物も冷凍物も必死に運んだ。

 被災から7年。家族が暮らしていける程度は稼げていた。だが、その後に、世界的不況の波が襲いかかってくるとは思いもしなかった。=敬称略=(横田良平)

   ◆

 「1・17」が変えた人生。「フロム神戸」編では、起業した父親と、その後を継いだ息子の25年間を紹介する。

【フロム神戸】2002年3月創業、09年6月設立。資本金300万円。軽貨物運送による企業の専属・定期便や貸し切り便のほか、物流求人サイト「ロジデリ」事業も手掛ける。20年5月期の売上高見通しは2500万円。神戸市中央区神若通1の4の17。TEL078・940・2601

2020/1/14

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