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移設された震災のモニュメントを拭く東野則子さん=西宮市千歳町(撮影・後藤亮平)
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移設された震災のモニュメントを拭く東野則子さん=西宮市千歳町(撮影・後藤亮平)

 マンション建設のあおりで一昨年に撤去された兵庫県西宮市千歳町の阪神・淡路大震災のモニュメントが6日、再建された。自治会が15人の犠牲者を悼んで2014年に設置してから、わずか4年での撤去だっただけに、復活に奔走した関係者は「来年からはまた、1月17日に訪れる遺族らにも見てもらえる」と喜びをかみしめる。(田中真治)

 千歳町は夙川東岸の国道2号と山手幹線の間に位置する住宅地で、「震災前は古い日本家屋が多かった」と自治会長の東野(ひがしの)則子さん(71)は言う。約200世帯が暮らす町は、家屋の大半が全半壊した。東野さんもがれきの下敷きになり、近所の人に助け出された。

 東野さんは自治会作成の犠牲者名簿を見るにつけ、「生活再建に追われて何もできなかった」と自責の念に駆られた。マンションが次々と建ち、住民の半数以上が入れ替わる変化に、「ここで起きたことを伝えたい」との思いが募った。

 震災20年目の14年に初めて、震災の展示を町内のギャラリーで開いた。同時に市に掛け合って、児童遊園の掲示板の裏側に、あの日の出来事をつづったプレートを設置した。翌年には遺族の同意を得て、犠牲者の名前も記した。周りには桜の木を植え、「この町を離れた人も足を運んでほしい」と願った。

 だが、一帯に大規模マンション計画が持ち上がる。市が借りていた児童遊園の土地は所有者に返却され、桜は夙川の河川敷などに植え替えられた。

 掲示板も撤去せざるを得なかった。マンション業者と協議の結果、道路沿いの一角に移設されたが、プレートは植栽の陰に隠れてしまった。近隣からの苦情もあって、短期間で再び撤去。プレートは行き場を失った。

 昨年の1月17日。訪れた遺族に、東野さんは「来年までにちゃんとするね」とわびた。だが、家族の介護や体調不良も重なり、移設場所はなかなか見つけられなかった。歩道の植栽部分の使用許可が下りるめどがついたのは、ようやく昨年末のことだった。

 再設置されたプレートの汚れを拭いながら、東野さんは「震災25年の当日に間に合わせられずつらい」と涙ぐむ。新たに植える花の苗とともに「地域で手入れして、震災を伝えていけたら」と期待する。

 今年の震災の集いでは、参加した遺族にメッセージを書いてもらった。児童遊園が取り壊される際にも、惜しむ声がたくさん寄せられた。東野さんはそれらと移設の経緯をまとめた冊子を作り、町内に配布するつもりだ。

2020/2/7

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