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祖母の赤阪智恵子さんの名前に触れる谷杉知里さん(手前)と(後列左から)母の久美子さん、伯父の赤阪浩二さん=17日午後1時24分、宝塚市小林(撮影・風斗雅博)
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祖母の赤阪智恵子さんの名前に触れる谷杉知里さん(手前)と(後列左から)母の久美子さん、伯父の赤阪浩二さん=17日午後1時24分、宝塚市小林(撮影・風斗雅博)

 阪神・淡路大震災から25年の17日、118人が亡くなった兵庫県宝塚市で、犠牲者72人の名前を刻んだ「追悼の碑」が除幕された。祖母の名にそっと触れたのは、1995年3月に生まれた会社員谷杉知里(ちさと)さん(24)=同市ふじガ丘。「おばあちゃんの生まれ変わり」とかみしめ、自分が志した道を生きていくと誓った。(小谷千穂)

 震災の10日ほど前、母の久美子さん(52)は出産のため、当時住んでいた堺市から宝塚市星の荘の実家に里帰りしていた。

 あの日。2階にいた祖母の赤阪智恵子さん=当時(57)=と久美子さんが下敷きになった。智恵子さんは頭を打ち、病院で息を引き取った。おなかの大きい久美子さんは倒れたたんすの隙間で無傷だったが、家の中に閉じ込められた。

 暗闇の中、途切れながら音楽が聞こえてきた。「白鳥の湖」のメロディー。智恵子さんのオルゴールだった。地震の衝撃で勝手に鳴り出していた。久美子さんはその音色に励まされ、救助までの約3時間を待つことができた。

 知里さんが生まれたのはその1カ月半後。智恵子さんの「智」から「知」をとって、知里。智恵子さんは生前、こっそり医師から孫が女の子と聞いていた。ピンク色の子供服をたくさん用意して、誕生を心待ちにしていた。

 会えていれば、どれだけかわいがってくれただろう。「私は絶対、おばあちゃん子になってた」。1月17日は毎年、智恵子さんの銘板がある神戸市中央区の東遊園地でも手を合わせた。

 ただ、祖母とのつながりは宝塚にこそある。だからこそ慰霊碑の建立はうれしかった。17日。初めて午前5時46分の発生時刻に同市内の慰霊式典に参列し、正午から同市小林のゆずり葉緑地で、碑の除幕式に臨んだ。

 御影石に並んだ名前は五十音順。「赤阪智恵子」は先頭だった。知里さんは「見つけやすい」と声を弾ませた後、「たった5文字なのに祖母の存在を感じられる」と見つめ続けた。「毎年来ます。子どもができたら連れてきます」と約束した。

 今、お年寄りや子どもの支援ができる福祉の資格を得ようと、会社で働きながら勉強に励んでいる。祖母に生かされた命。「人の役に立つ仕事がしたい」と思いを強くした。

 おばあちゃんはここで見てるよ-。5文字に背中を押された気がした。

2020/1/18

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