タコママ(以下ママ) この前、明石総局のかび臭い倉庫を物色しとったら、えらいもん見つけてしもたんや。
タイオ 何や? 金目のもんあるわけないし…、もしかして、ネ、ネズミのミイラか!?
ママ なんでやねん。一応、新聞やねんけど、いつもとちょっと違うねん。よう見たら「臨時明石版」って書いてあるし。
タイオ 臨時?
ママ ほんでうち、急に思い出してん。そうや、25年前に見たやつやんって。
タイオ えらい古い話やな。もしかしてママが女子大生のときか。あの頃はかわいかったな。
ママ うるさいわ。阪神・淡路大震災で、うちの家も壁にひび入って、電気も水もガスも止まったから、近くの小学校に避難してん。そんとき、体育館で配ってたやつやねん。
タイオ へえ、オレ見たことないわ。
ママ 倉庫でスクラップ全部読んでたら、当時のこといっぱい思い出して眠れんようなって…。だから、あんたに見せたろおもて借りてきてん。
タイオ 見出しすごいな。「水がない、食料も」とか「家屋崩壊、走る亀裂…」とか。明石もすごい被災地やってんな。
ママ あのとき、神戸新聞は三宮の本社ビルが全壊して、京都新聞の応援でやっと新聞出せてんけど、地域版までは無理やってん。
で、当時の明石版担当の記者さんたちがいろんな人に助けてもらって、独自の新聞出しとったんやて。
それが、倉庫で見つけた臨時明石版=写真【1】。A3判の4ページ。ペラペラやけど、執念感じるわ。
タイオ 被害情報だけやのうて、あいてる風呂屋とか水がもらえる場所とか、生活情報もいっぱいやな。当時はインターネットなんかないし、テレビも明石の情報は少なかったから、避難所でみんな新聞にかじりついとったな。
ママ 約1月半、第12号まで出してはるわ。ほれ、あんたも読んでみ。震災のまっただ中の緊張感が、黄ばんだ紙面に閉じ込められてるわ。
タイオ そやけど、字が小さいな。最近、老眼が…。
ママ ごめん。全部は無理やから一つだけ再掲するわ。「ありがとう」っていうコラム=写真【2】。この記事は記者さんが読者の人たちに宛てたメッセージやけど、あのとき、みんなが誰かに助けられて、「ありがとう」って言いたかってん。「ありがとう」っていう言葉の裏に、「亡くなった人の分も、しっかりがんばります」っていう誓いがあってん。
明石市民も26人が亡くなって、自宅の全半壊は1万5千世帯もあったんやで。
タイオ そやな。あのときの誓い、忘れたらあかんな。