「25年、本当に早かったなあ」。母の大崎みのるさん=当時(85)=を亡くした宗和三与子さん(83)=兵庫県淡路市富島=は、同市にある北淡震災記念公園の慰霊碑に語りかけた。
あの日、ドーンという衝撃で目覚めた。倒れた柱の間から2階にあるはずの窓が見える。必死にはい出て、歩いて数分の実家へ急いだ。ぺしゃんこになった家の隙間から運び出された母は、既に息絶えていた。
いつも笑顔で、7人の子どもを育て上げた。船大工だった父が病に倒れてから1994年9月に亡くなるまで8年間は、介護の日々。震災までの約4カ月は寂しい半面、ゆったり過ごせた時間だった。「ぜいたくはしない人だったけど、ブドウやビワに目がなくって。持って行ったら喜んでました」
東日本大震災など、相次ぐ災害に心が痛む。そして、あの日を思い出す。揺れの怖さ、避難所や仮設住宅での暮らし。いくら時間がたっても記憶が薄れることはない。
一方で、震災を知らない世代が増えていくことも気に掛かる。「つらい体験をした自分だから話せることがある。若い人たちに伝えていきたい」(吉田みなみ)