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 「忘れないから」「会いに来るよ」「生きた証しを残したい」-。神戸市中央区の東遊園地にある「慰霊と復興のモニュメント」で17日、阪神・淡路大震災の犠牲者ら10人の銘板が加わり、遺族らがさまざまな思いとともに亡き人をしのんだ。

 「祖母を知る人が少なくなり、何か形に残したいと思って…」。神戸市須磨区の吉田潤子(ひろこ)さん(50)は、祖母の小山君恵さん=当時(79)=の銘板を携えた。思いがあふれて銘板を持つ手が震え、次女の涼沙(りさ)さん(15)=飛松中3年=に支えられながら取り付けた。

 潤子さんは震災当時、体調不良のため芦屋市津知町の祖母宅に帰省。震災が起きる直前、「しんどい?」と部屋をのぞきに来たのが、祖母の最後の姿だった。

 祖母宅は全壊、潤子さんも生き埋めになったが救出された。2日後、祖母が亡くなっていたことを知った。いつも「パワフルで優しい祖母」がいないことをしばらく信じられなかった。

 モニュメントには近づけないでいたが、3年前に母が亡くなり「祖母を覚えている人がいなくなってしまう」と申し込んだ。涼沙さんは「震災やひいおばあちゃんのことをもっと聞きたい」という。

 西宮市津門川町の会社員同免木(どうめんき)美佐さん(52)は母の梅本美代子さん=当時(63)=の名前を刻んだ。母譲りの「常に明るい性格」で4人の息子を育てた。当時、生後2カ月だった四男(23)には近く男児が生まれる。それでもこの時期は震災当時を思い出し、涙があふれる。「命の大切さや震災の記憶を息子や孫に受け継いでほしい。また連れて来るね」と誓った。

 神戸市北区の加藤節子さん(73)は、震災2年後に病死した夫正三(まさかず)さん=当時(55)=の銘板を掲げた。電気設備工事会社に勤務。「震災当日も現場へ飛び出し、連日遅くまで仕事をこなす、責任感の強い人だった」。亡くなったことを認められず銘板掲示を思いとどまってきたが、今回決意した。「これからも見守ってね」と銘板を何度もなでた。

 神戸市兵庫区の会下山仮設住宅で自治会長を務め、震災3年後に亡くなった網干勇さん=当時(78)=も貢献者として名前が加わった。訪問活動などで被災者を励まし続けた。長女キミ江さん(72)は「いつも誰かのために走り回っていた。報われたね」と銘板に語り掛けた。(金 慶順、小林伸哉)

2017/12/18

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