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阪神・淡路大震災から23年を振り返る小坂学さん=姫路市内
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阪神・淡路大震災から23年を振り返る小坂学さん=姫路市内

 阪神・淡路大震災の発生から23年がたった17日、兵庫県の姫路・西播磨地域でも、行政機関や学校で防災を学ぶ訓練、研修が行われた。甚大な被害をもたらす災害と向き合う決意を新たにする住民も。「忘れない」「伝えよう」-。それぞれが被災地に思いをはせ、犠牲者を悼みながら震災の教訓を胸に刻んだ。

 播磨地域の文化・芸術団体でつくる姫路地方文化団体連合協議会(姫路文連)会長で、元教師の小坂学さん(67)=姫路市北八代=は、震災でいとこの女性を亡くし、防災教育や、文化を通じた東日本大震災の被災地支援に奔走してきた。「災害とどう向き合うか、文化でどう貢献できるか。震災の教訓を感じ続けた23年」と思いを語る。

 小坂さんは姫路で生まれ育ち、市内の中学校や特別支援学校で教師を務めた。1995年1月17日朝。「どーんと突き上げるような衝撃で飛び起きた」。姫路市も震度4の揺れに見舞われたが、自宅や家族は無事だった。当日、いつも通り勤務先の飾磨中に出勤した。被害の状況が分かり始めたのは学校でテレビを見てから。炎、煙、ヘリコプター。画面に映る光景は想像を超えていた。

 数日後、西宮市に住む同世代のいとこの女性が犠牲になったと知り、言葉を失った。職場では進路指導の担当。しばらくして受験の準備で被害が大きかった神戸市長田区の神戸村野工業高校を訪ねた。軒並み倒壊した建物のそばを歩いてたどりついた。

 姫路では日常が続いていたが、心は落ち着かなかった。「ほっとしたのに、引け目や負い目があった。手放しで喜べなかった」。もどかしさも募った。何かしたい。でも、生徒の受験を放って被災地に行けない…。当時、姫路文連事務局の一員。文化関連の催しで募金箱を置いてもらい、自らも街頭で募金活動を目にすれば協力した。それでも「たったそれだけ。被災地での直接支援はできなかった」。後悔は今もくすぶる。

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 震災以来、自問するようになった。姫路で災害とどう向き合うか。離れた所で災害が起きたら、自分には何ができるのか。

 2002年、飾磨東中に移り、防災担当になった。播磨地域は山崎断層大地震が懸念され、学校のそばを流れる市川は降雨のたびに洪水の危険があった。「災害は身近だと生徒に伝えたい」。防災に関わる行政職員や高校生、報道関係者らに思いを話してもらった。

 09年、佐用町が豪雨に襲われた際は、被災者宅に泥出しに駆け付けた。11年の東日本大震災後、原発事故で避難を余儀なくされた人らとも交流してきた。16年の熊本地震の被災地には、「経済復興を支えたい」と発生半年後に足を運んだ。

 一方で、99年から姫路文連の会長になり、同団体の取り組みとして復興支援に力を注いできた。「『頑張れ』という言葉よりも、一枚の絵や一曲の歌が人々に強さと元気をもたらす」

 播磨の芸術家を集め、「連」と銘打った東日本支援のチャリティーイベントをこれまでに3回開いた。被災地の文化・芸術活動を支える「アーツエイド東北」への寄付も続ける。

 「災害を意識する。被災者と共に歩んで支える。そんなこだわりは震災の教訓」。23回目の1月17日、今年も思いを強くした。(宮本万里子)

2018/1/17

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