連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

記事特集

  • 印刷
長男茂晴さんを思い、明かりのともった竹灯籠に語り掛ける稲見登さんと育子さん=17日午前5時51分、神戸市中央区加納町6(撮影・中西大二)
拡大
長男茂晴さんを思い、明かりのともった竹灯籠に語り掛ける稲見登さんと育子さん=17日午前5時51分、神戸市中央区加納町6(撮影・中西大二)

 6434人の魂を悼む祈りの朝は雨で明けた。平穏な暮らしを一瞬で奪った阪神・淡路大震災から23年となった17日。被災地では無数のろうそくに明かりがともされ、静寂が広がった。息子に先立たれた両親は慰霊碑の銘板にそっと触れ、母を失った女性は年齢が追いついたことを報告した。ありがとう。会いたい。一言でいいから声を聞かせてほしい。あふれる思いを胸に、亡き人に語り掛けた。

 震災後の人生を「あの子の生きた歳月だけは」と懸命に生きてきた。神戸市灘区のアパートが倒壊し、長男茂晴さん=当時(25)=を亡くした同市東灘区の稲見登さん(74)と妻の育子(やすこ)さん(75)。今年も神戸・東遊園地の「慰霊と復興のモニュメント」を訪れ、最愛の息子の名が刻まれた銘板上の水面にそっと菊の花を浮かべた。

 1階に暮らしていた稲見さん夫婦と茂晴さんらは生き埋めになった。近所に住んでいた茂晴さんの友人が夫婦を励ましながら助け出してくれたが、別の部屋で寝ていた茂晴さんははりが直撃し、ほぼ即死だった。

 息子の死を受け入れられず、震災から5年ほどは、カレンダーの「17日」を全て黒く塗りつぶした。「将来の面倒は僕がみるから」と話した茂晴さんの笑顔が脳裏に浮かぶ。育子さんは気がつくと、手元に置いた骨つぼをあけ「しーくん」と呼び掛けていたという。

 毎年1月17日には、アパート跡の空き地に亡くなった3人の遺族が顔を合わせた。ろうそくをともし、花を供え、互いの近況を伝える。すると決まって、近所の人たちが温かいお茶やコーヒーを用意してくれた。「つらい場所だけど、近所の人の優しい気遣いが足を向けさせてくれた」と育子さん。

 「(茂晴さんが)悲しそうな顔をしている気がして」。見ることさえできなかった遺影とも、次第に向き合えるようになった。4年前から暮らす市営住宅では、仏壇の遺影に「おはよう」「おやすみ」などと声を掛け、手を合わす。時には「阪神負けてしもたわ」と何げない話も。夫婦は「茂晴はいつもここにいる」とほほ笑み合う。いつしか、茂晴さんの年齢分だけは震災後を生きることが2人の目標となった。

 アパートの跡地の半分には家が建った。そして、震災20年の節目を刻んだ3年前を最後に、17日早朝に訪ねる場所を東遊園地に変えた。この日、竹灯籠に明かりをともした2人。降り続く雨で消えないよう、手をかざして祈った。「今年も来られたよ。もう少しの間、見守っていてね」(篠原拓真)

2018/1/17

天気(11月18日)

  • 22℃
  • ---℃
  • 70%

  • 22℃
  • ---℃
  • 80%

  • 23℃
  • ---℃
  • 80%

  • 21℃
  • ---℃
  • 80%

お知らせ