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阪神・淡路大震災を振り返る吉田利栄さん=朝来市和田山町玉置
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阪神・淡路大震災を振り返る吉田利栄さん=朝来市和田山町玉置
震災当時、日本赤十字社兵庫県支部で開かれたミーティング=日時不明、神戸市中央区(吉田利栄さん撮影)
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震災当時、日本赤十字社兵庫県支部で開かれたミーティング=日時不明、神戸市中央区(吉田利栄さん撮影)
1階部分が軒並みつぶれた商店や民家=同日、神戸市灘区(吉田利栄さん撮影)
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1階部分が軒並みつぶれた商店や民家=同日、神戸市灘区(吉田利栄さん撮影)
壊滅した市街地。がれきの中で炎がくすぶる=同日、神戸市内(吉田利栄さん撮影)
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壊滅した市街地。がれきの中で炎がくすぶる=同日、神戸市内(吉田利栄さん撮影)
震災の朝、市街地の広範囲で発生した火災の煙。午前8時半には神戸に着いた=1995年1月17日、神戸市灘区から(吉田利栄さん撮影)
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震災の朝、市街地の広範囲で発生した火災の煙。午前8時半には神戸に着いた=1995年1月17日、神戸市灘区から(吉田利栄さん撮影)

 雲海に浮かぶ「天空の城」の写真を数多く撮影し、竹田城跡(兵庫県朝来市)の名を全国に広めた同市和田山町玉置の写真家・吉田利栄さん(86)。阪神・淡路大震災では、日本赤十字社のボランティアリーダーとして、被災地を東奔西走した。合間を縫って各地の被害を撮影したフィルムには、当時の状況が克明に記録されている。(長谷部崇)

 吉田さんは当時、和田山土地改良事務所(現・朝来土地改良センター)に勤める県職員だった。カメラだけでなくアマチュア無線も長年の趣味で、県無線赤十字奉仕団に所属し、災害現場でボランティアを指揮するボランティアリーダーにも認定されていた。

 23年前の1月17日、震源から約80キロ離れた朝来市の自宅も激しく揺れた。直後に日赤兵庫県支部(神戸市中央区)から出動要請が入り、大急ぎで水や食糧を積み、高速を飛ばして駆け付けたという。六甲山を南北に貫くトンネル「六甲有料道路」を抜けると、東西に広がる市街地の方々で煙が上がっているのが見えた。

 同支部では当初、救急現場からの無線に対応したが、続々と要請される薬の名前が難解で、手に負えなかったという。その後全国各地から応援に駆け付けた、救急車の道案内などを担当。地図をにらみ、搬送先までの経路を探ったが、道路の寸断や橋の崩落に何度も行く手を阻まれた。

 「われわれは病院名を言われるだけで、当時はカーナビもないでしょ。私だって神戸の地理に詳しくはないし、人手が足りないから通行止めの箇所も分からない。あれは困りました」と吉田さんは振り返る。

 動かない車列には「道の両側に1メートルずつ寄ってください!」と、マイクで声を張り上げた。脚を大けがした中年男性を姫路まで運んだ際は、道の亀裂で車が揺れるたびに漏れるうめき声が、今も耳に残っている。

 吉田さんは、救援物資を積んだトラックを被災市町の受け入れ先まで先導する業務にも携わり、被災地に延べ65日間通った。その合間に撮影した写真の数はおよそ200~300点にも及ぶ。「あんな体験は人生でもう二度とないと思うけど、南海トラフ巨大地震はひょっとしたら明日起きるかもしれない。備えだけはしておかなければ」

2018/1/16

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