連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

記事特集

  • 印刷
幼いころの伸也さんを抱く足立悦夫さん、朝子さん。かわいい末っ子には両親とも甘かった=足立悦夫さん、朝子さん提供
拡大
幼いころの伸也さんを抱く足立悦夫さん、朝子さん。かわいい末っ子には両親とも甘かった=足立悦夫さん、朝子さん提供

 阪神・淡路大震災で、結婚わずか4カ月の妻富子さん=当時25歳=とともに命を落とした足立伸也さん=同27歳。今は、母校五荘小学校(兵庫県豊岡市)の近くで眠る。墓は、マスターズ陸上でならした父悦夫さん(85)と2人、走りの特訓で通った同小に向かう坂道の近くにある。両親が「さみしくないように、少しでもにぎやかな所に」と選んだ場所だ。

    ◆◇◆

 1967年9月27日、まだわずかに野生のコウノトリが飛んでいた豊岡市で、伸也さんは生まれた。母朝子さん(81)の父が、「すくすく伸びて」と願いを込め名付けた。悦夫さんは義父と、長男誕生に祝杯を挙げた。幼い頃から車が大好きで、姉2人との3人きょうだいで一番優しかった。

 「小さい頃から、よう走る子やった」と悦夫さん。小学校では陸上クラブへ。夕方になると、父子でストップウオッチを手に五荘小に通い、スタートやダッシュを練習した。6年生の時には市民体育祭で1位になり、県大会にも出場。豊岡北中でも陸上部に入ったが、剥離骨折をして短距離は諦めた。だから豊岡高では投てきを鍛えた。

 「日焼けした脚は、それこそカモシカみたいにきれいで。わが子ながらほれぼれしたわ」。朝子さんが目を細める。高校時代に使ったシューズは今も、大切にしまっている。

 小学校の卒業文集には、「お父さんの後を継いでかばん卸をしたい」と書いた。しかし次第に家業は振るわなくなった。悦夫さんは「貧乏した。一番、どん底の経験をしてるのが伸也や」とかみしめる。夫婦は仕事を転々とし、必死に働いた。両親の姿を見ていた伸也さんは、ものを欲しがることがなかった。だが中学の時知人からゆずられたお古の自転車は、毎日うれしそうに磨いていたという。

 高校の時に1度だけ、友達とのいさかいで、首から血を流して帰宅した。やり返さなかったと聞いた朝子さんが「よう我慢した」と褒めると、伸也さんは声を上げて泣きだした。「何度も言うて聞かせてたの。けんかに強い子が強いんやない、男の子は優しいってことが強いんやで、って」

 高校卒業後は単身、大阪府箕面市に出て新聞販売店の奨学生になり、2年間働きながら情報技術の専門学校に通った。神戸マツダに就職した伸也さんは当初、神戸市東部の但馬出身者向けの寮にいたが、しばらくして、命を落としたあの灘区のアパートに移った。

    ◆◇◆

 朝子さんが手料理を詰めたお重を土産に、悦夫さんはしばしば神戸のアパートを訪ねた。子どもの頃のように一緒に川沿いを走り、お重を食べ、駅前の串カツ屋で2人で一杯やるのが定番コース。いつからか、後に妻となる富子さんも加わるようになっていた。

 「何回も通った部屋やから、震災直後に駆けつけた後も、どこに何があるかたいてい分かった」と悦夫さん。「本で読んだんや。『人間はなぜ泣いて生まれてくるのか』ってね。『重い宿命を背負って生まれてくるからだ』って」。両親が慈しんで育てた命の時間は、あの日止まってしまった。

(阿部江利)

2018/1/16

天気(11月21日)

  • 15℃
  • ---℃
  • 0%

  • 14℃
  • ---℃
  • 20%

  • 16℃
  • ---℃
  • 0%

  • 15℃
  • ---℃
  • 10%

お知らせ