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移転したばかりの事務所で、商品を手に笑顔を見せる鈴木佑一さん=大阪市西淀川区(撮影・後藤亮平)
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移転したばかりの事務所で、商品を手に笑顔を見せる鈴木佑一さん=大阪市西淀川区(撮影・後藤亮平)
母富代さんと5歳の佑一さん。震災前年の1994年秋に撮影された
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母富代さんと5歳の佑一さん。震災前年の1994年秋に撮影された

 5歳のとき、阪神・淡路大震災で母富代さん=当時(44)=を亡くし、神戸の児童養護施設で育った鈴木佑一さん(28)=大阪府豊中市=が、「世界と日本をつなぐ会社をつくる」という夢に向かって一歩を踏み出した。この冬、大阪市内に新たな事務所を構え、輸入販売や広告事業などの拡大を目指す。背中には、散り散りになった家族の名前をタトゥー(入れ墨)で刻んでいる。亡き母に、失われた家族に呼び掛ける。「これからもずっと、見守っててな」(上田勇紀)

 まだ段ボールが山積みになったビルの一室で、佑一さんは、部下2人と仕事に追われていた。12月中旬、大阪市の北区から西淀川区に事務所を移転。米国から輸入したおもちゃをインターネットで販売したり、新聞の折り込み広告を手掛けたり、忙しい日々を送る。

 23年前の記憶は、いまも頭に「こびりついている」という。

 目を開けると、真っ暗闇にいた。うつぶせのまま身動きが取れない。土のにおいがする。「なんで?」。そのまま数時間が過ぎた。

 佑一さんが救出された後、隣で寝ていた富代さんは、毛布をかぶった状態で見つかった。目を閉じ、口が開いている。「死んでる」。幼心にそう直感した。

 生活に困窮する母子の駆け込み寺といわれた「神戸母子寮」(神戸市兵庫区)。震災で木造2階建ては全壊し、富代さんら5人が犠牲になった。

 児童養護施設「神戸実業学院」(同)に兄と入った。公園で遊ぶ家族連れを見て、「おかん、いないんや」と実感した。歌うことが好きで、明るかった母。別居していた父は兄だけを連れ、「また迎えに来る」と言い残して去った。

 欲しいものをねだる相手もいない。「誰かに期待することに疲れた。自分でやるしかない」。何かに追われるように体を鍛え、勉強に励んだ。

 大学に入り、1人暮らしを始めるころ、施設の理事長から「お父さんが亡くなったらしい」と告げられた。区役所で戸籍を調べると、父の欄には「死亡」の文字。葬儀があったかどうかも分からない。

 「自分の家族、バラバラやったな。お墓も何もない。一緒になれるものが欲しい」。思い立ち、背中にタトゥーを刻んだ。佑一の「佑」の周りを「眞」「富」「馬」が囲む。父、母、兄の名前の1字だ。

 大学院に進み、英国に留学。異なる文化に刺激を受け、卒業後の2014年、輸入販売などの事業を始めた。失敗を重ねながらも、代表として率いる。

 間もなく1月17日が巡ってくる。神戸母子寮の跡地を訪れ、手を合わせる。「間違った道に進まないように。自分を見失わないように。見といてや」。そう、祈るつもりだ。

2017/12/31

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