連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

わが町の文化財

  • 印刷
砲台があった地点から望む明石海峡。多くの船が絶え間なく行き交う=淡路市岩屋
砲台があった地点から望む明石海峡。多くの船が絶え間なく行き交う=淡路市岩屋

 淡路島最北端の高台から望む明石海峡。日差しに輝く架け橋が国際都市への入場門のように、世界の船を歓迎する。だが、約160年前、この高台は外国船を大砲で迎え撃つために造られた「松帆台場」の名残だった。

 1853年、ペリーやプチャーチンら欧米列強が相次いで来航し、幕府に開国を迫った。長崎での交渉に失敗したプチャーチンは翌年、淡路島南沖に突如出現。大阪で再度交渉を求めた。一定の防衛策を講じていた江戸や長崎に比べ無防備だった大阪湾への侵入は、幕府や朝廷を困惑させた。国防の見直しを迫られた幕府は徳島藩に台場の築造を指示。55年には勝麟太郎(りんたろう)(海舟(かいしゅう))を含む巡視団を淡路島に送り、岩屋(淡路市)や由良(洲本市)で海上防衛計画を進めた。

この記事は会員限定会員限定です。新聞購読者は会員登録だけで続きをお読みいただけます。

2017/11/2
 

天気(9月9日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 30%

  • 34℃
  • ---℃
  • 50%

  • 35℃
  • ---℃
  • 20%

  • 35℃
  • ---℃
  • 20%

お知らせ