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臨海部にたたずむ市営南芦屋浜団地。350世帯以上が暮らす=芦屋市陽光町(撮影・三津山朋彦)
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臨海部にたたずむ市営南芦屋浜団地。350世帯以上が暮らす=芦屋市陽光町(撮影・三津山朋彦)

 阪神芦屋駅北東の甲陽市場は、まだ夜明け前の闇の中だった。1995年1月17日午前5時46分。グラッと大きく揺れたかと思うと、夫婦で営むパン屋の2階で寝ていた芥川悦子さん(87)の体に、タンスや棚が倒れてきた。階下では夫が開店準備を始めていた。無事だった夫婦は火の始末をした後、急いで外へ逃げた。町は暗く静まり返っていた。

 兵庫県芦屋市打出町の自宅で激震に見舞われた山本利恵(としえ)さん(72)は身の回りの安全を確認すると、近くに住む両親の元へ走った。古いアパートは倒壊。名前を呼んだが返事はない。母は救出されたが、父の和市(わいち)さん=当時(83)=は間に合わなかった。遺体はヘリコプターで京都に運ばれ火葬され、遺骨だけが戻ってきた。悲しみに暮れる暇もなかった。

 冬を越した被災地。渡辺律子さん(82)は4カ月の避難所暮らしを終え、芦屋市呉川町の仮設住宅に移り住んだ。壁は薄く、隣近所の声は筒抜け。晩ご飯のおかずまで知れた。だからこそ、顔の見える付き合いができた。助け合おうとする温かさがあった。

 98年春、念願だった復興住宅の抽選に当たった。芦屋市陽光町の市営南芦屋浜団地での暮らしが始まった。

        ◇  ◇

 誰とも何日も会話しない独居者。部屋で誰にもみとられずに亡くなる高齢者。新たなコミュニティーでの生活は、徐々に課題が浮き彫りになった。

 「電球を取り換えてほしい」「病院に付き添って」。団地の集会所に詰め、24時間高齢者たちの生活を支える生活援助員(LSA)の城戸昌子さん(65)らの元には、日々さまざまな相談が寄せられる。高齢化が進み、見守り対象は増える一方だ。

 震災から22年がたち、その記憶は被災地でさえも薄れてきている。近く南海トラフ巨大地震の発生が予測されているが、昨年11月の防災訓練に参加したのはわずか14人だった。

 自治会長で防災士の辻義道さん(70)。「風呂の水はためておいて」「災害時はエレベーターを使わないで」と、顔を合わせた住民に辛抱強く備えの大切さを呼び掛ける。

 コミュニティーづくりに奔走する若手も。自治会事務局長の松田繁雄さん(46)=仮名=は、会社勤めの傍ら、夕食会を兼ねた月1回の映画会を企画し始めた。住民と向き合って初めて、高齢社会が抱える現実を目の当たりにした。知ってしまったら、関わらずにはいられない。

 集会所は、毎日のように教室やイベントが催されるように。それでも家に引きこもりがちな住民もいる。

 2017年の元日。村上きくさん(94)は、近くの次女夫婦宅で夕食を共にした。懐いてくれる2歳のひ孫を見ていると、自然と頰が緩む。約15年前に夫を亡くしてから一人暮らし。近所付き合いもほとんどない。週1回のデイサービス以外、めったに外出しない。

 2日からまた、「何もすることがない」日常に戻った。

        ■

 阪神・淡路大震災の復興住宅として1998年、芦屋浜沖の埋め立て地にできた芦屋市営住宅「南芦屋浜団地」。375世帯656人が入居する新しい町には、高齢者や障害者らをサポートするLSAが24時間常駐する、県内唯一の公営住宅として全国から注目を集めた。

 まちびらきから今年で20年目。高齢化率は53・5%と半数を超えた。「先進的だった復興住宅」で暮らす住民たちの今を、昨年11月に神戸新聞社が全戸対象に実施したアンケートとともに紹介する。(震災取材班)

2017/1/16

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