記事特集
神戸市灘区の豊田正人さん(71)、明子さん(77)夫妻は、阪神・淡路大震災で当時28歳の長男、裕次さんを失った。多くを語らない一方、裕次さんが亡くなった場所に思いを寄せる正人さん。胸に刻み込まれた記憶が離れず、命日にこだわる明子さん。在りし日の息子の姿を追い求め、悲しみ、冥福を祈り続ける両親が迎えた、22回目の1月17日。(小川 晶)
午前5時20分、昨春開業したJR神戸線摩耶駅の南側に接する住宅街。気温3・7度、薄暗さが辺りを包む5階建ての自宅マンションから、正人さんと明子さんが出てきた。
マンションは地震から2年ほど後に完成した。1階部分は、正人さんが経営する配管工事会社「豊田設備」の事務スペースとして設計され、道路に向かって社名看板も掲げられている。

かつては、100メートルほど東にあった木造2階建てアパートの1階部分を借りて事務所を置いていた。地震で全壊したため、新築のマンションに移す予定だった。
始発電車が動き始めたばかりの街並みを、線路に沿って東に向かう2人。入院を翌日に控えた明子さんが、辺りを見渡しながら「冷たい。やっぱり寒いね」と声を上げる。正人さんが「いつものことやろ」とぶっきらぼうに返す。
3分ほどで着いたアパートの跡地には、地震後に再建された3階建て住宅がある。ここの1階にも「豊田設備」の看板が掲げられている。
正人さんが言う。「結局、事務所は移さんかったんや。家賃も払わなあかんのやけど、裕次のことを考えると、やっぱりな」。マンションに設けた事務スペースは、正人さんの趣味の部屋になっている。

敷地内にある階段の周辺で、裕次さんが大好きだった日本酒をまき、コップに入れて供える正人さん。明子さんは、しゃがみ込んでお経を上げている。自転車やポリタンク、ちり取りなどが雑然と置かれている。
豊田設備の社員だった裕次さんが亡くなった場所だ。
地震当時、事務所のほか、正人さんと裕次さんの寝泊まり用に2部屋をアパート1階に借りていた。自宅は神戸市西区にあったが、仕事の都合などで2人はこの部屋を頻繁に使っていた。
22年前の1月17日も。

「飛行機が落ちてきた思うた」
その時の揺れを、正人さんが振り返る。2階部分が斜めに崩れ、1階が押しつぶされた。正人さんは、寝床の脇にあった頑丈な棚で50センチほどの隙間ができて助かった。
「大丈夫か」と声を上げた。東隣の5人家族の部屋からは返答があり、裕次さんがいた西隣からはない。ガスの臭いにおびえながら自力ではい出し、息子の名前を呼び続けた。
近所の人たちに手伝ってもらって崩れ落ちた壁や柱を取り除いていった。幅30センチほどの梁(はり)が胸に乗っている寝間着姿の裕次さんが見えた。
引っ張り出して、「はよ起き」と何度もほおをたたく。近くにいた看護師が人工呼吸をしてくれた。「ゴボゴボゴボ」という音だけが返ってきた。
車で看護師の勤務先に運び、駆け回る院長に頼み込んで診てもらった。電気ショックなどをしてもらったが、「もう、あかんやろうな」と言われた。
一緒に自宅に戻ってきた正人さんから経緯を聞いた明子さん。眠っているようにきれいな息子の顔を見て、思わず「起きたら?」と声を掛けた。ほおを何度もさすった。ほんのりとしたぬくもりが伝わってきた。

午前5時46分。正人さんと明子さんは、アパート跡地の階段の前から、隅にあるほこらに歩み寄った。しゃがみ込み、中をのぞく。地震後、墓石の石材店からもらった小さなお地蔵さんが置いてある。
手を合わせながら、明子さんがつぶやく。
「未熟児やったね。2300グラムしかなかった。早産で。ほかの子より遅れるんかなって思うた。歩いたのは2歳2カ月。背も低かったね。小学校入ってずっと、前から2番目で」
正人さんは黙ってほこらを見つめている。
1966(昭和41)年生まれ。当時のスター、石原裕次郎さんにあやかり、長男でも「裕次」。正人さんも明子さんも、「おとなしい子だった」と口をそろえる。
もう一つ、両親の記憶で共通するのが画才だった。アニメーションのようなデザインを好み、小中学校時代は毎年のようにコンクールで入賞。家業を継ぐため、芸術の道を諦めて工業高校の土木系コースに入ってからも、趣味で絵を続けた。
当時の揺れる思いをつづったのか、高校時代のものとみられるスケッチブックの表紙裏いっぱいに、鉛筆でこう書かれている。
「青春という言葉に酔いしれて 若さにあまえた時の思い出」
20代前半で豊田設備に入社。仕事の合間をぬってイラストを描いた。亡くなったアパートからは、作品や鉛筆、絵の具、スケッチブックなどがたくさん出てきた。

作品1点と3冊のスケッチブック、コンクールの受賞盾2つ、デザインの画集2冊。
裕次さんの絵の関係で、両親の手元にある遺品はわずかだ。スケッチブックは、自宅で保管されていた10代の頃のもの。アパートで見つかったほとんどは残っていない。押しつぶされた部屋から拾い集めてくれた豊田設備の社員に、正人さんはこう言った。
「何もかもいらん。全て放れ」
その時の心境について、正人さんは「見るとつらくなる思うたんかな」と一言だけ漏らし、間を置いて続けた。「地震があってな、何かが抜けてもうてんねん。裕次の思い出とか、聞かれてもぱっと浮かばんねん」
それでも、仕事中、一緒に働いていた裕次さんとのやりとりが唐突によみがえってくる。正人さんの助言にうなずかず、「自分のやり方でやるから」と工事を続けた。おとなしいながらも、時折強情な一面をのぞかせる息子だった。
「裕次の方法が間違っとったことはなかったけどな」
仏壇の前で続ける朝晩の焼香。幼稚園に通っていた頃の裕次さんが車にぶつかった記憶が、なぜか思い起こされたこともある。

22年前で止まった裕次さんとの思い出。明子さんは胸を2回たたき、「ここに刻まれてますよ。ずっと。今も」と言い切る。
食卓にカレイを並べれば「私らはくちゃくちゃなのに、裕次はきれいに骨を残して食べてたな」と懐かしむ。買い物に行けば「ケーキいらんから、メロン買うて」とせがんだ姿が浮かぶ。
地震後、四国八十八カ所を繰り返し巡った。月命日に合わせて自宅に住職を呼び、お経を上げてもらった。十三回忌の時、住職から「そろそろ1月17日だけにしたら」と勧められたが、明子さんは「区切りなんてない」と拒み、毎月の供養を続ける。
2001年には、裕次さんの絵を自宅の玄関に掛けた。未来の神戸港のイメージを幻想的に描いた中学3年時の作品だ。
1981年の神戸ポートピア博覧会に合わせて実施されたコンクールでタイムカプセルに収められ、20年を経て開封された。思いもよらず戻ってきた亡き息子の絵。明子さんは「裕次が『忘れんとって』と言っている」と受け取り、「毎日、会えるような場所に飾りたい」と思った。
正人さんも、賛成した。

午前6時20分、裕次さんが亡くなった場所から、東遊園地(神戸市中央区)に移動してきた2人。市主催の「追悼の集い」が終わり、「慰霊と復興のモニュメント」へと参列者が連なっている。
その流れに加わった明子さん。正人さんは少しの間、列を離れた。明かりが揺らめく竹灯籠の前に歩み寄る。
「裕次を引っ張りだして、人工呼吸をしてもらって。そんときに涙が枯れるぐらい泣いた。そのせいで涙腺が固まったんかな、涙が出なくなった。それがな、最近、緩んできたような気がするんや」
そう言ったところで、すぐに打ち消した。
「やけど、泣いてへんで。あの日から一度も、涙、流してへん」
午前6時40分。モニュメントの手前で白い菊の花を受け取り、寄り添うように水面に浮かべた。正人さんが地下の瞑想(めいそう)空間に降りた後も、明子さんはしゃがんだまま、目を閉じてお経を唱え続けている。
腎臓が悪くなり、1年半ほど前から週3回の人工透析が欠かせない。大好きだった家族旅行に行けなくなり、食事制限も厳しくなった。
昨年末には、腸にポリープが見つかった。医師から「手術で切除するので、年が明けたら入院しましょう」と伝えられた。1月17日に重なると思った明子さんは、その場で頼み込んだ。
「息子の供養をちゃんとせなあかんのです。親が死んだ息子にしてやれるんは、供養しかないんです」
医師は「緊急性はないから日を延ばしましょう」と認めてくれた。17日は裕次さんの追悼にささげ、18日入院、19日手術の日程が決まった。

正人さんが待つ銘板の前に、明子さんが降りてきた。数珠を握りしめた手を伸ばし、裕次さんの名前を横になでる。再びお経を唱え始めた明子さんの横で、正人さんが黙ったまま、手ぬぐいで銘板を拭いた。
明子さんのお経が終わる。2人は改めて銘板を見上げ、合わせたかのように一瞬視線を落とした。そして顔を上げ、寄り添うようにモニュメントを離れた。
「人、少なかったな。やっぱり、年数やな」。正人さんがつぶやく。「生きてる限りは来んとね。親としてやれることやから」と返した明子さん。
「まだ、気が張ってる」
ほほ笑みながら、ゆっくりと歩き始めた。
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