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母はつのさん、弟美孝さんの遺影を見つめる川上二三子さん。阪神・淡路大震災を家族で生き抜いた=三田市武庫が丘7、県営三田武庫が丘高層住宅
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母はつのさん、弟美孝さんの遺影を見つめる川上二三子さん。阪神・淡路大震災を家族で生き抜いた=三田市武庫が丘7、県営三田武庫が丘高層住宅

 阪神・淡路大震災から17日で丸22年がたつ。兵庫県の三田市は比較的被害が小さかったものの、被災地に隣接するエリアとして、仮設住宅ができ、2カ所の復興住宅が建設されるなどし、復興を支えてきた。尼崎市で被災し、県営三田武庫が丘高層住宅(同市武庫が丘7)に入居した川上二三子さん(92)に当時の体験を聞いた。

 「地獄の体験だった」。目に涙をためながら、川上さんは当時を振り返る。だが、生き抜いた今はこう思えるようにもなった。「震災を機に『生きる』ことへの感謝が強くなった。三田の住民との交流も深まり、今は幸せな日々」

 震災当時、尼崎市尾浜町3にあった木造2階建てに、ほぼ寝たきりだった母はつのさん(当時92歳)と、2歳下の弟美孝さんの3人で暮らしていた。自宅は半壊したが、3人とも無事だった。

 翌日、二三子さんは地震で足場がもろくなった自宅のベランダで転倒。あばら骨にひびが入った。呼吸するだけでも激痛が走る中、はつのさんの介護に尽力。しかし、はつのさんは次第に元気を無くし、1カ月後に老衰で亡くなった。二三子さんは「悲しかったが、生きるために気持ちを切り替えた」。

 2000年、美孝さんと一緒に武庫が丘高層住宅に移り住んだ。待っていたのは、同じ体験をした人同士の温かい交流だった。「被災体験や身の上話、今後などをたくさん話した。おかげで心が軽くなった」と振り返る。

 4年前に美孝さんが肺がんで亡くなり、独り暮らしに。だが、住宅内で定期的に開かれる集いには、ほぼ必ず参加する。住宅内で最高齢になった二三子さんを慕う人も多い。相手が求めれば、震災体験を話すこともある。「地震はいつ起こるか分からない。震災を知らない世代に常に心構えをしておくよう伝えていきたい」(村上晃宏)

2017/1/17

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