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震災の語り部活動を始める柴田大輔さん(右)。語り部グループの崔敏夫さんと、今も更地が残る被災地を歩く=神戸市須磨区千歳町1(撮影・小林良多)
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震災の語り部活動を始める柴田大輔さん(右)。語り部グループの崔敏夫さんと、今も更地が残る被災地を歩く=神戸市須磨区千歳町1(撮影・小林良多)
自宅の焼け跡から取り出された写真。上と右下は宏亮ちゃん。左端の写真では、幼い柴田大輔さん(右)と宏亮ちゃん(左)が父親に並んで抱っこされている
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自宅の焼け跡から取り出された写真。上と右下は宏亮ちゃん。左端の写真では、幼い柴田大輔さん(右)と宏亮ちゃん(左)が父親に並んで抱っこされている

 小学1年生だったあの日、幼い弟2人を失った。避難所では重傷を負った母親と離れ、慣れない土地の仮設住宅、学校で過ごした。それでも少年は周囲の人々に支えられ、大人になった。阪神・淡路大震災から22年。全国で続く災害を前に、自分の経験を語る決意をした。「もう犠牲は出してほしくない。弟2人で十分だから」。17日、震災の語り部として母校で一歩を踏み出す。(高田康夫)

 神戸市長田区海運町の柴田大輔さん(29)。震災のときは7歳だった。同区の自宅が倒壊し、一緒に寝ていた弟の宏亮(ひろあき)ちゃん=当時(3)、知幸(ともゆき)ちゃん=同(1)=と両親の家族5人で閉じ込められた。「ウルトラマンの怪獣だ」と思った。弟2人を残して、自宅は火に包まれた。

 家族で最も早く救出された大輔さんは1人で避難所へ。真っ暗だった。1週間後に父親が迎えに来るまで、泣き続けた。自宅の焼け跡で、顔立ちに面影を残す弟の亡きがらも見た。そばに宏亮ちゃんが好きだった仮面ライダーの人形があった。よく分からなかった「死」が恐怖に変わった。

 祖母や親類宅、北区の仮設住宅へ移り、そのたびに転校を重ねた。勉強についていけなくなった。「学校にいて地震があったら、また独りになる」と登校できなくなった。

 そんな大輔さんを周囲の人々が見守ってくれた。小学校の校長は校長室で、担任教諭は自宅で勉強を教えてくれた。仮設住宅を訪れる学生ボランティアとの遊びや勉強が一番の楽しみになった。

 震災から約2年後、体を圧迫されたことで生じるクラッシュ症候群で治療を受けた母親が退院。小学5年で長田に戻り、再び地元で歩み始めた。

 昨年9月、阪神・淡路の経験を伝える語り部グループ「語り部KOBE1995」から活動に誘われた。グループの一人で、震災で次男を亡くした崔敏夫さん(75)が「震災の経験を封印するんじゃなく、若い世代に語ってほしい」と声を掛けた。

 迷いはなかった。18歳で消防団に入った大輔さん。東日本大震災の発生以降、「人は独りじゃ何もできない。助け合いの大切さを伝えたい」との思いを強くしていた。17日に語り部の一員として、母校の太田中学校(神戸市須磨区)で生徒の前に立つ。

 これに先立ち、17日午前5時46分には、神戸・三宮の東遊園地で亡き弟たちに自身の報告をするつもりだ。昨年から働き始めた介護施設で妻奈津さん(33)と出会い、結婚した。語り部活動を「ええことやん」と背中を押してくれる奈津さんと両親の4人で、竹灯籠に手を合わせる。

 「弟2人はどこかで生まれ変わって頑張っているはず。だから、僕も頑張るで」

2017/1/16

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