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フリデリク・ショパンの肖像(アリ・シェフェール、1847年、油彩、カンヴァス credit : Dordrechts Museum)
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フリデリク・ショパンの肖像(アリ・シェフェール、1847年、油彩、カンヴァス credit : Dordrechts Museum)
「エチュード ヘ長調 作品10の8」自筆譜(製版用 フリデリク・ショパン、1833年以前、インク、紙 Photo : The Fryderyk Chopin Institute)
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「エチュード ヘ長調 作品10の8」自筆譜(製版用 フリデリク・ショパン、1833年以前、インク、紙 Photo : The Fryderyk Chopin Institute)

 日本・ポーランド国交樹立100周年を記念した「ショパン-200年の肖像」展(神戸新聞社など主催)が、10月12日に兵庫県立美術館ギャラリー棟(神戸市中央区)で開幕します。ポーランド出身で、数々のピアノの名曲を残したフリデリク・ショパン(1810~49年)。クラシックは難しいと感じる人も、音楽の授業などでショパンの曲を一度は聞いたことがあるのでは。人気の秘密と、両国の関係について調べてみました。(津谷治英)

 -ショパンはどんな人?

 「お父さんはフランス語教師で、お母さんはピアノが好きだった。姉と2人の妹がいて、少年時代はお父さんが勤めていた高等学校の寄宿舎で過ごした。両親はともに音楽好きで、家庭では演奏が絶えなかったとか。ショパンがピアノに興味を持つのは自然だった。4歳で鍵盤に向かい、7歳で作曲もしたから天才だったんだね。音楽の専門教育を受けて作曲家になった」

 -どこで活躍したの。

 「当時、ポーランドはロシアの統治下で政情が不安定だった。ショパンの周囲の人は安全な外国へ行くことを勧めた。ショパンはウィーンを経てパリに移り、数多くの名作を残した。だからフランスの音楽家とみる人もいる。今回、日本初公開となる肖像画も、パリ時代の友人の画家アリ・シェフェールが描いた」

 -そんなに危険だった?

 「戦乱に翻弄(ほんろう)された時期が長い国なんだ。ショパンが若いころにはロシアに対する民衆蜂起もあり、ショパンの友人も銃をとって戦った。革命のエチュードは、そんな祖国の状況を描いた」

 -他の作品の特徴は?

 「代表作のマズルカは農村の伝統舞踊のリズムから着想し、ポロネーズは祖国の栄光をたたえた勇壮なメロディーが特徴。ポーランドの歴史、風景を音楽で表現している。だからポーランド人は自国の偉人として尊敬している」

 -日本でも親しまれている?

 「作品が映画やテレビドラマでよく流れるからね。別れの曲はその代表。映画監督・大林宣彦さんの作品『さびしんぼう』や、武田鉄矢さんと浅野温子さんが恋人役のテレビドラマ『101回目のプロポーズ』などで使われた。切ないメロディーは恋愛モノには最適かも」

 -ポーランドと日本の関係は?

 「第1次世界大戦ごろ、ロシアの弾圧で15万人のポーランド人がシベリアに送られた。過酷な労働と生活で多くが亡くなり、子どもたちは孤児になった。1920年、日本は飢えに苦しむ765人の子どもを救出。病気治療など手厚くケアをしたんだ。それが日本への好印象につながった」

 -両国は親しいんだね。

 「ワルシャワから電車で約2時半離れたクラクフという街に、『日本美術・技術博物館マンガ(Manggha)』がある。若いころに日本美術に関心を持った映画監督アンジェイ・ワイダさんらが開設した。浮世絵や着物、刀剣などを所蔵し、9月に五大浮世絵師展を開く。ショパン展とともに両国友好の象徴といえるね」

2019/9/3

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