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 阪神・淡路大震災の翌日、焼け跡が広がる神戸市長田区の御菅(みすが)地区で、本紙写真記者が撮影した1枚の写真がある。青い防寒着をまとい、焦げた遺骨を手に、静かにこちらを見詰める少年。20年後の彼は3児の父になり、震災で亡くした祖母との思い出を大切にしていた。(上田勇紀)

 加古川市に暮らす石材会社勤務、中岡俊輔(しゅんすけ)さん(32)。1月28日、三女雪那(せつな)ちゃんが生まれたばかり。妻幸子さん(33)と子育てを楽しみながら、日々、仕事に精を出す。

 震災の翌日、写真部の金居光由記者(57)=現・読者サポートセンター長=が御菅地区で、がれきの中で何かを探す少年と出会った。その少年が中岡さんだった。

 記者が声を掛けると、「お母さんや」と言ったように聞こえた。持っていたのは遺骨。シャッターを切ったものの、少年の写真が紙面で使われることはなかった。

 この1枚の写真を手掛かりにし、1月の本紙夕刊で、少年を訪ね歩く連載「焼け跡の少年-神戸・御菅の記憶」を掲載。これがきっかけとなり、読者からの情報提供で中岡さんと巡り会えた。

 震災で亡くなったのは「お母さん」ではなく、「おばあちゃん」。記者が聞き違えたようだ。

 神戸市長田区菅原通3に住んでいた祖母の岡田千鶴子さん=当時(60)。同居していた祖父義高さん(82)は仕事に出掛けており、無事だったが、がれきに埋もれた千鶴子さんは炎に包まれた。

 同市垂水区で母、弟と暮らしていた中岡さんは、当時、中学1年生だった。母が運転する車で御菅へ向かうと、火の海。近づくことさえできなかった。

 車中で夜を明かし、翌日、遺骨を拾った。家族や親戚と、素手で一つ一つ、焦げた骨片を拾い集めた。

 「お母さん代わりと言っていいほど、おばあちゃん子だった」と、母の多津代さん(54)。仕事が忙しかった多津代さんに代わり、旅行に連れて行ったり、服を買ったり。遺骨を探したときの青い防寒着も、千鶴子さんが買ったものだった。

 中岡さんは専門学校卒業後、2008年に結婚。石材会社に勤めながら、長女心那(ここな)ちゃん(5)、次女那月(なづき)ちゃん(2)の保育園の送り迎えを欠かさない。過酷な経験を記録した写真を手にし、「鍋に遺骨を拾ったことは覚えてる。まわりの様子も、こんな感じだった」と振り返った。

 「本当に優しいおばあちゃんだった」と中岡さん。末っ子がもう少し大きくなったら、3人の娘をお墓に連れて行き、祖母との思い出を話すつもりだ。

2015/2/20

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