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高さ55メートル、長さ210メートルの門をイメージした「日仏友好のモニュメント」の完成イメージ図
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高さ55メートル、長さ210メートルの門をイメージした「日仏友好のモニュメント」の完成イメージ図
県立淡路島公園に残るモニュメントの礎石。足元の流水プールにフランスの花こう岩約4千トンが敷き詰められる計画だった=淡路市楠本(撮影・長江優咲)
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県立淡路島公園に残るモニュメントの礎石。足元の流水プールにフランスの花こう岩約4千トンが敷き詰められる計画だった=淡路市楠本(撮影・長江優咲)

 1995年1月に兵庫県の淡路島で着工しながら、直後に起きた阪神・淡路大震災の影響で20年以上凍結されていた「日仏友好のモニュメント」事業について、官民でつくる「日仏友好のモニュメント日本委員会」が建設中止を決め、昨年末で解散したことが11日、関係者への取材で分かった。兵庫県や日仏政府も支援した建設費200億円の“夢”のプロジェクト。未曽有の災害にほんろうされ、震災から21年を前についに終止符が打たれた。(永田憲亮)

 プロジェクトは1986年、フランスの仏日シンボル協会(フィリップ・ケオ会長)が提唱。フランスが19世紀末、米国に贈った「自由の女神像」にならい、日本に「コミュニケーション」をテーマにしたモニュメントを建設する構想だった。

 同協会は、淡路島を建設予定地として兵庫県に協力を打診。パリでのデザインコンペを経て、89年に当時の経団連会長を会長、貝原俊民知事を副会長に「日仏友好のモニュメント日本委員会」が組織され、日仏友好議員連盟も支援を決めた。

 建設地は大阪湾を一望する県立淡路島公園(淡路市)の丘陵地に決定。巨大な門をイメージし、高さ51メートルのガラス張り支柱4本の上に、長さ210メートル、重さ5千トンのブロンズ碑板を載せ、展望台も設ける構造だった。

 提唱から9年を経た95年1月12日、日仏関係者約220人が参加し、現地でくわ入れ式を挙行。だが、5日後の17日に震災が発生、事業は休止となった。99年にはモニュメントの大きさを半分にする縮小案が示されたが、震災の復旧・復興が優先されて建設は再開されず、以降は委員会も開かれなかった。

 そして震災から20年が経過した昨年11月、兵庫県の井戸敏三知事ら日本委員会の副会長3人が、建設中止と委員会の解散を提案。全委員と、同協会のケオ会長も了承した。

 副会長3人は解散を呼び掛ける文書で「(発足時の会長、副会長だった)斎藤英四郎・元経団連会長や貝原俊民・前知事が逝去され、事業推進のシンボルを失った」とし、「兵庫はいまだ震災の影響の中にあり、(建設再開の)機運醸成は難しい」と記した。

 井戸知事は事業断念を「震災20年の区切り」とした上で、「これだけ情報化が進んだ時代に、『コミュニケーション』の象徴というプロジェクトを再開するのは難しい」との見解を示した。

 【日仏友好のモニュメント事業】

 フランス革命(1789年)から200年の記念事業の一つ。淡路島の丘陵地に高さ55メートル、全長210メートルの記念碑を建設する計画。日本委員会は官民約20人で構成し、建築家の安藤忠雄氏らも名を連ねた。建設費200億円の半分程度を兵庫県が負担し、残りは一般からの募金などを見込んだ。明石海峡大橋との同時開業を目指し、近くの淡路夢舞台から延長1・4キロの登山電車の運行も計画された。

2016/1/12

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