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三和市場で妻を失った原口廣さん。白鴎寮で配られた毛布を今も大切にしている=神戸市東灘区本山南町1
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三和市場で妻を失った原口廣さん。白鴎寮で配られた毛布を今も大切にしている=神戸市東灘区本山南町1
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震災で消えた三和市場。電柱に看板だけが残る=神戸市東灘区本山南町2
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震災で消えた三和市場。電柱に看板だけが残る=神戸市東灘区本山南町2

 1995年1月17日、平凡な毎日を過ごしていた神戸商船大白鴎寮の学生250人は、壊滅した町の真ん中で、がれきに埋まった住民100人以上を救出した。

 三和市場内の木造長屋で暮らしていた原口廣(ひろし)さん(91)は今も、寮生への感謝の気持ちを忘れない。

 倒壊した2階にいたが、学生がライトで足元を照らし、脱出を助けてくれた。1階にいた妻、千恵子さん=当時(68)=は駄目だった。大阪の寺で火葬できたのは7日後だ。

 原口さんも寮生とともに救援活動に没頭した。寮には最大460人もの避難者が身を寄せた。1日2回、東灘区役所から大量のパンやおにぎりを運んだ。学生と住民で自治組織を結成。寮生は毎日、寮の空き地に大きな穴を掘り、トイレにたまる汚物を埋めた。

 4月の新学期まで、住民と寮生の共同活動は続いた。「若い力のおかげで乗り越えられた。地域の絆の大切さを思い知った」と原口さん。だが、市場は閉鎖された。

 当時工務店を営み、本山南町2丁目自治会の副会長だった中西輝夫さん(82)は大量のバールや電動のこぎりを寮生に貸した。地震後、地域で自主防災組織の結成に奔走した中西さんは言う。

 「まちはきれいになったが、住民の半数が入れ替わり、寮生の活躍を知らない人がほとんど。共助の大切さを伝えていかないと」

 有田さんと真鍋さんは卒業後、独立行政法人「航海訓練所」(横浜市)に就職し、船乗りを目指す若者を指導している。

 「あの時は非常時に結束し、冷静に対応するというシーマンシップを発揮できたかもしれない」と2人。どんなときも当たり前のことを当たり前にやる。そのために日ごろから備える。それが多くの命を救う、と今思う。

 現在、白鴎寮生は232人。神戸大との統合後は全学部が対象となり、一体感はかつてほどではなくなった。

 寮の玄関には、地震時の活動をたたえる内閣総理大臣表彰が飾られる。先輩から当時の話を聞かされて自治会長になった3年の酒井盛寿(もりかず)さん(21)は「強いリーダーシップとチームワークがあったから大勢の人を救えたと思う。今、同じことが起きたらどうだろう」と自問する。

 答えは、きっとこうだ。僕たちが結束すれば、まちはずっと強くなる。そう寮生に伝えたいと考えている。(木村信行)

2016/1/16

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